私の断捨離は、何日にも及んだ。一度終わったかのように見えたけど、まだまだだった。
なんだかまだ捨てたい。でも、これ以上は必要なものと大切なものしか残っていない。しかし疑問も生じた。大切なものというけれど、それ、本当に必要??
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結婚式に参加する時や、レストランに行く時などの服はとっておいてあるけど、それと普段着の中間の服は、もう使わないかもしれない。理由は、彼氏が今後の話を出してくれているからだ。彼と一緒に暮らすなら、彼のタイプを考え、着飾るより、動きやすい服装で共に動くことが大事だと考えた。
彼はそもそも、人の服なんてよく見ちゃいない。父もそうだ。だから母も、普段着は動きやすさ重視で、あまり気にしている風でもなくて、きれいなお母さんではなかった。弟の友達にも、そんな指摘をされていた。男の子は正直だ。でも、一緒に遊んでくれて、一緒に悩んで、励ましてくれるお母さんの方が、私は良かった。本当はその子は、母が羨ましかったんじゃないかと思うのは、妄想だろうか。
私はこの服たちに囲まれていることで、どこか優越感があった。いいものを持っている満足感とかがあった。ただちょっとこだわった服を着ているだけで、偉くなった気でいたのだ。
若い頃はもっと謙虚に着飾れていたのに、この先を共に生きる相手を見つけて尚着飾ることは、特別おしゃれが好きでもない私には、不似合いなことに思えた。彼もそれを望んでいないのなら、私は基本的に、着飾るべきじゃないんだろう。
まだ周りの目を気にして着飾ることが、必要なんだろうか?まだちやほやされたいんだろうか?私の場合はだけど、もう、そういう時期は過ぎたと思っている。私は次の段階に移るべきだ。
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売れるだけ売って、手放せるだけ手放して、それでも思い入れのある服などは、捨てられなかった。というか、祖母や母から受け継いだものも多く、よほどシミだらけでもない限り、捨てるわけにはいかない。だから、母が私にそうしてくれたように、私も母からもらった服を、自分の子に渡すために、保管しておくことにした。私に女の子が生まれるのか、その子がこういうものを気に入ってくれるのかも分からないけれど、私は嬉しかったから、そうする。
変なプライドはかなぐり捨て、お気に入りの服たちを、衣類ケースにしまい込んだ。そういえば、最近こういう服は、ほとんど着ていなかったな。虫にくわれないように、防虫用の木を入れて、シミになりませんように。なっても直せますようにと願って蓋をする。私より年上の服たちが、私より長生きしますように。
私の番は終わった。今度は私がバトンを渡すんだ。そしてまた、次のレースを走る。きらきら輝く若者時代だけが、素晴らしい時じゃない。
いらない感情ごと、服をしまい込んでしまったら、すっきりした。やっぱり変に気負っていたらしい。私が誰より横暴だった。
きっとこの感情は持ち越されずに、楽しい記憶と服だけが、次の代に届く。届いて欲しい。