おそらく最初で最後であろう、兄妹3人で行った台湾旅。古めかしい、お世辞にも綺麗とはいえないマンションが立ち並ぶ裏通りのあの風景を、私は多分、一生忘れないだろう。
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私が大学院を卒業する間際の2月、大学1年生だった妹と、「二人揃って海外に行けるのなんて、学生の今しかないよね」という話になり、台湾旅行に行くことにした。
お互い初めての海外で、わくわくしながら旅行雑誌を開いていると、父が私たちを大層心配しはじめた。溺愛する娘達が揃いも揃って不馴れな海外に行くことに、多大な不安を感じたらしい。
そこでボディーガード代わりにつけられたのが、大柄な体格の兄だった。
私は3人兄妹の真ん中で、上に兄がいた。兄は理系の大学に進学し、長く大学院生だったから、当時はまだ私達と同じく学生だった。父の「可哀想だし、とりあえず誘ってあげたら?」という一声で、私達姉妹は「学会とかで忙しいし、女二人について来ないでしょ~」と笑いながらも兄に声をかけてみた。
驚いたことに、兄は案外乗り気でついてきた。
そうして、兄妹3人での台湾旅が始まった。日本と違い舗装されておらず、揺れに揺れるバスでダウンした私のために、兄と妹で酔い止めを買いに走ってもらうという恐ろしい旅の幕開けだったけれど、もともとの仲の良さと、殆どの行程でツアーに入っていたことが幸いして、それなりに楽しく旅した。
盛れるアプリで撮った大柄でつぶらな目の兄の盛れた写真に妹とゲラゲラ笑い、お高めの記念写真を兄が真っ先に購入する様子にも妹とゲラゲラ笑い、雨で散々だったはずの台北101からの景色が、徐々に晴れて幻想的な夜景になる様子に3人で感動した。
「満足するまで小籠包を食べ歩きたい」という妹の願望を叶えるべく、小籠包のお店を3軒もハシゴしてひたすら小籠包と餃子を食べあさったりもした。
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3泊4日ずっと一緒にいるから、兄妹喧嘩もたまに勃発する。
士林夜市に行ったとき、私が食べたいと言ったかき氷のお店まで、兄と妹のスマホのナビがそれぞれ違った道を案内してきた。妹が案内してくれようとするのを遮って、「こっちじゃないの?」と少々偉そうに案内する兄に、慣れない土地へのイライラが重なった妹は憤慨した。
怒鳴りあう二人を必死になだめながら、なんとかたどり着いたかき氷店では、兄も妹も終始無言。台湾についてからずっと、大体兄か妹が英語でオーダーでしてくれていたので、無言の二人に私は途方にくれながら、「ピーナッツワン!」と、お目当てのかき氷を慣れない英語で注文する羽目になった。その後、ピーナッツのかき氷のおかげか、二人のわだかまりも溶け、無事仲直りをしてことなきを得たのだが。
そんななか、1日自由行動の日もあって、どこに行こうか相談するうちに、当時癌で闘病していた父が大好きな、台湾名産のパイナップルを買いに行こうという案がでた。2月という季節柄、まだそんなにパイナップルも出回っておらず、中心部からは少し離れた高級フルーツ店に向かうことにした。
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地下鉄を乗り継ぎ、父のために必死に調べながら高級フルーツ店への道のりを3人で歩く。小さい頃は、歳もそこそこ離れていたので、3人揃ってお使いにいくことは滅多になかった。だけどその時、日本から離れた台湾の地で、「父に美味しいパイナップルを食べさせてあげたい」という同じ目的を胸に、兄妹3人で歩いた。私は「まるで子供のおつかいみたいだなあ」なんて、少し滑稽な、だけど温かい気持ちになりながら、古いマンションが立ち並ぶ台湾の裏通りを歩いた。
「空港の検疫では、まいぱいなぽーちぇっくぷりーず!って言えば良いらしいよ」なんて馬鹿な会話をしながら、兄妹3人で歩いた台湾でのあの風景を、私は多分、一生忘れないと思う。
その後兄は結婚し、私達も今後それぞれ家庭を持つかもしれない。おそらくもう兄妹3人で旅行に行くことはないと思う。
でも、あの優しくて朗らかな思い出を胸に、これからも兄妹3人支えあえたらいいな、と思う。