「ここで一緒に死のう」
母は泣きながら、静かにそうこぼした。ぼろぼろと涙を落とす母とは正反対に、私は少しも涙が出てこなかった。
悲しいとも、辛くともなく、目が潤むことすらない。ここで泣くと、死にたいと考える毎日のなか生きたいと望んでいるみたいで悔しくもあり、まぶたの裏は乾き切っていた。

泣き崩れる母を見つめると、心がドクンとはねる音がうるさいくらいに聞こえ、生温いなんとも言えない感情が身を包む。これまでの辛い生活を思うと、私を産み落とした母と共に人生を終わらせることは、纏わりつく苦しさから逃れられる唯一の方法にも思えた。
ああ、やっと人生を終えられるんだ。

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小学生の頃、将来の夢を考える授業があった。仕事図鑑を眺め、声優という職業を知る。仕事で忙しい親の代わりに相手をしてくれたのは、常にアニメだった。必然的に声優になりたいと思うようになり、旅番組のナレーションもしてみたいし、どうせなら歌って踊れる声優アーティストになりたいと思うようになった。

高校生の進路を決める時期、大学へ進学してほしい母の意思とは正反対に、声優を養成する専門学校への進学を考えるようになる。意を決して受けた特待生のオーディション、結果は準特待生。どうしてもはやく、この生活から抜け出して隠し通していた夢を叶えたかった。家を出る予定で、専門学校へ進学する準備を進めている矢先のことだった。

親ならば、子どもの夢を応援してくれるものだと信じていた。専門学校への進学がすでに決まっている友人、高校を卒業して働く友人。いろいろな事情はあるだろうが、納得して次の人生を歩もうとする友人たちが羨ましく見える。
周りからしたら大学進学を勧める親は恵まれているように見えるかもしれないが、子どもの意思を尊重してくれない親は少しも誇れるものではなかった。私の存在をつくりあげた肉親ですら夢を応援してくれない、そのことに絶望した。

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ここから離れるべきだ。母のそばにいたら、私は母の敷いた人生を歩むことになる。私の人生は私のもの。母から逃げなければ私は死んでしまう。どうせ死ぬのであれば、死ぬ気で勉強して良い大学に入って好きなことをしよう。そうして受験までの間、死が隣にある日々を過ごした。
少しでも母に人生を邪魔されないように、なるべく家ではない場所で受験勉強をする日々。とても苦しい毎日だった。死ぬ気で臨んだ結果、誰もが知るであろう大学へ合格。進学が決まっても、嬉し涙すら出なかった。

地方から関東へ出ることになり、ようやく母親から離れられる。その嬉しさとも安堵とも言えぬ感情でいっぱいになった。ただ、母の望んだ進路として大学に入ってからも、「大学に行かせるべきでなかった」と電話越しに告げられる日々は続く。冷め切った感情と共に少しも涙は出なかった。

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そこから大学を卒業し、声優になることを諦めて社会人になった。母の思う人生を歩み自立した。
それでも、今はこの人生に少しも後悔がない。むしろ、有り難くもある。小さい頃の夢を叶えられなかったことに過去の自分へ申し訳なさはあるが、今ではこの人生を大正解にしたいとすら思う。
母と共に人生から逃れることを望んでいたが、今では真剣に子どもの将来を考えていた気持ちがわかるようになった。そして、大企業で働くようになり、母との関係は修復できた。

社会人になった今では言える、私の母は素敵で誇れる存在。あのとき泣かなかったのは、頑なに守っていた夢を曲げる気がして泣けなかったからだと思う。同時に、子どもの夢を応援してくれない母にも絶望した。さらに大人になった今ならわかる。
私の人生が苦しいものにならないようにと考えてくれた母に、こんな子どもで申し訳ない気持ちが絶望よりほんの少し勝っていたのだろう。今では、私の将来を本気で考えてくれていた母に感謝している。