かがみよかがみと出会って、私の毎日は劇的に変わった。
起きて食べて仕事して排泄して寝る。そんな繰り返す日々に「エッセイを書く」という営みが加わった。
自分の強みであった言語化能力が趣味になり、そしていつかは生きがいになった。エッセイに本格的に取り組むと決めて、何冊ものエッセイ指南書や文章術の本、様々な著者による優れたエッセイを教科書として読み漁った。
◎ ◎
魅力的なエッセイ、もとい文章を書くにはいくつかのコツがあるという。その一つに、文章の読み手となる読者を出来るだけ具体的に詳細に想像し、その人に宛てて書く、というものがある。
多くの人に読んでもらいたい(そしてできれば共感してほしい、さらに言えば称賛してほしい)と欲張る私にとって、この秘伝術はとても難しい。
私は誰に宛てて今まで30本ものエッセイをしたためてきたのか。私が今の私のことを一番に理解してほしいのは誰だったのだろうか。そんな疑問が残った。
さて今回のテーマ、シスターフッドについてである。ほかのエッセイ「トトロを見て育った私。久しぶりに鑑賞したら泣ける映画になっていた」を読んで頂いた方々はまさかとお思いになるだろうが、そのまさかの2作続けてジブリにまつわるエッセイである。
◎ ◎
今回は「魔女の宅急便」(1989年公開)である。
前回のトトロ同様、魔女の宅急便、通称「魔女宅」ももはや説明は不要ではないか。見習いの魔女である13歳の少女キキは、「魔女として生きることを決意した少女は13歳の満月の夜に旅立ち、よその街で1年間の修行をしなければならない」という魔女界の掟に従い、ある夜旅立つ。空を飛べるという武器と相棒の黒猫のジジと共に、修行の土地となる街にたどり着く。その地で様々な人に出会い、挫折や失敗を乗り越えて成長していく、という成長譚だ。
物語の中盤、キキはスランプに陥る。「空を飛べる」という、キキの魔女としての唯一の才能が突如使えなくなり、アイデンティティを失うのだ。激しく落ち込み深く悩むキキに、年上の女友達で絵描きのウルスラは、ホットミルクを渡しながらこう声を掛ける。
「魔法も絵も似ているんだね。アタシもよく描けなくなるよ。そういうときはジタバタするしかないよ。描いて、描いて、描きまくる!(「それでも絵が描けなかったら?」というキキの問いに)描くのをやめる。散歩したり、景色を見たり……昼寝したり。何もしない。そのうちに急に描きたくなるんだよ」
ウルスラのこの言葉は、「どうしたらもう一度飛べるようになるのか」や「飛ぶコツ・技術について」という直接的なアドバイスではない。でも、キキは少し落ち着きを取り戻したような表情を見せ、眠りにつくのだった。
◎ ◎
年上で経験豊富な人生の先輩の女性が、経験も技術も足らず成熟もしていない女の子を励ますシーン。この場面をそのまま表面上で切り取っても、「シスターフッド」的であると言えるだろう。ここで重要なのは、人生のアドバイスをする年上の女性ウルスラと、助言される年下のキキが、高山みなみさんという声優によって一人二役で演じられている、という点である。高山みなみさんによるキキと、高山みなみさんによるウルスラ。これはどういった意味を持つのだろうか。
私はこう考える。ウルスラは未来のキキで、キキはウルスラの過去なのだと。悩みや苦しみ、挫折を乗り越えた今のウルスラに、悩みを抱えている過去のウルスラが、キキに形を変えて会いに来たのだと。
そして今のウルスラが、過去の自分に、乗り越えた今だから言える言葉をかける。またはもがき苦しんでいる今のキキが、ふと未来の自分と出会い声を掛けられる、そんなシーンなのではないだろうか。未来の自分が、過去の自分を励ます。これもまた、「シスターフッド」の一つの形なのだ。
◎ ◎
エッセイとその宛先についての話に戻ろう。
私は過去30作エッセイを投稿した。私のエッセイの大きな特徴は、「この先〇〇したい」という未来志向のものより、過去の自分を振り返り顧みる過去志向のものが多いということだ。壮絶な暴力体験から始まった小学校時代、ふられまくった中学時代、引きこもりや死にたかった時期、難病潰瘍性大腸炎や双極性障害によるジェットコースターな浮き沈みの日々……それらを乗り越えた今だからこそ、当時のことをセキララに書くことができる。
そしてふと思う。
私の30作品の宛先は、他でもなく、過去の私自身であったのだと。ウルスラにキキが会いに来てアドバイスを求めたように、過去の私が今の私に会いに来てくれた。私は私を助けたい。ならばそっと隣に座って、言葉を探して慰め、二人でホットミルクを一緒に飲もう。
私は今日もキーボードに向かい、エッセイを綴る。今回は記念すべき30作品目。今までも、そしてこの先も、また過去の私に、そして、やっぱり私は欲張りだから、願わくば他の読んでくださった方にも、何かを伝えられるように。「『書』いて『書』いて『書』きまくる」のだ。