小児喘息、潰瘍性大腸炎、クローン病、アトピー性皮膚炎、双極性障害、PMS、突発性難聴、花粉症、椎間板ヘルニア、エトセトラ、エトセトラ。
小さな頃から病弱で、これらの持病を抱えていた私にとって、薬を飲むのは日常の一部だった。日々服薬する薬は増えることはあれど、減ることはなかった。
だから、少量の水で沢山の錠剤を一気に飲むことができる、というのが哀しき特技の一つなのである。
そんな内服のベテランである私が、最近その効果を痛感している薬がある。それは「時薬(ときぐすり)」である。
薬効は、「どんなに大変な困難を抱えていても、時間が薬となって解決してくれる」というもの。知らず知らずのうちに誰もがこの薬を飲んでいて、これまた知らず知らずのうちにその効果を得ている。
私はエッセイを書くようになった今、そのことを強く感じている。
◎ ◎
「え?もう書き終わったの?」
彼氏が素っ頓狂な驚きの声をあげる。休日に彼氏の家に行き、お昼ご飯を用意してくれている間、持参したパソコンでエッセイを書き始め、そして書き上げたのである。
1800字程、60分。
「うん、書き終わったよ!」と手作りオムライスをほおばる私(悔しいことに美味いんだな、これが)。
「よくそんなにすらすら書けるねえ」と褒めてくれる彼氏。
褒めてくれるなんて良い奴だな、仕方ない、食後の皿洗いは私がやってあげよう、と調子に乗る私。
はて、60分で1800字は確かに速いのかもしれない。でも、どうしてできるんだろう?
私が今まで書いてきた31本のエッセイは、未来志向より過去志向のものが多い。自分の過去を語るのだから、今まで持病として苦しんできた潰瘍性大腸炎や双極性障害についても触れてきた。
苦しんできた、「だけ」だと思っていたのだ、エッセイを書いて過去を振り返るまでは。
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おならや下痢、血便を頻発してしまう難病・潰瘍性大腸炎を10歳で発症した。中学生の頃片思いをしていた男の子含むクラスメイトの前ででっかいおならをしてしまった。いじられキャラになり笑いにすることで、女の子としての自信を失い傷ついている自分を誤魔化していた、というエッセイを書いた(「教室に響く私のおならと笑い。『女の子』としての自信は消えた」)。
これが2021年12月に書いたエッセイ。ありがたいことに、潰瘍性大腸炎の方から「本当に辛い病気ですよね」などの感想メッセージを頂いた。
しかし2022年4月には、同じ潰瘍性大腸炎に関して、違う角度からエッセイを書いてみた(「一目惚れと同時に失恋した。食べ物を粗末にしたバチは男子トイレで」)。
高校の学校遠足の帰りのバスで、強烈な便意と闘いおならを頻発させた挙句、混んでいた女子トイレではなく男子トイレで用をすました結果、失恋をしたという話である。
かなり笑いを意識して書いたエッセイであり、こちらもありがたいことに、「めちゃくちゃ笑いました」という反響を頂いた。
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勿論、潰瘍性大腸炎は辛く大変な難病だ。でもそんな私のおならの一発で、私のエッセイで、誰かが笑ってくれた。それは嬉しい。とっても嬉しい。辛さのおまけみたいなものだけれど、小さい頃欲しがっていたおまけ付き食玩は、お菓子よりおまけがメインだったでしょう?
「辛い」だけだった過去に、エッセイを書くことで、私が新しい意味を、新しい付加価値を添えることができるのだ。どうやら2021年12月から2022年4月にかけて、私は強めの「時薬」を飲んだらしい。そしてその「時薬」がとてもよく効いたようだ。
毎日生きていたら辛いことがある。これもう立ち直れないんじゃないか、というほど心にも体にもダメージを負ってしまうこともあるだろう。
そんなときは、もちろん病院に行き、「本当」の薬を飲み、沢山話を聴いてもらい、黙って隣にいてくれる誰かにすがってみよう。そしてそれでもだめなら、布団にくるまり時間がただ過ぎていくのを数える、っていうのもありなのかもしれない。
そのとききっとあなたは「時薬」を飲んで薬が効くのを待っているのだから。
どうしてすらすらとエッセイが書けるかって?
そりゃそうだよ、パソコンではなく、人生経験で書いていて、執筆時間は、正確には28年間と60分なんだもの。