許せなかった。許す気もなかった。
小学校から高校まで、私をいじめてきた人たちのこと。「なんとなく気に食わないから」「変わっているから」と言って、執拗に嫌がらせをして暴言を吐いて、徹底的に私の心を壊してきた人たちのこと。

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小学校に入学した当初から、周りと馴染めない子供だった。
価値観や考え方が周りと違っていて、「変なやつだ」とからかわれてきた。
その「からかい」が、悪意をふんだんに含んだ「いじめ」に変わるのに、時間はかからなかった。
私がなにかするごとに冷笑を含んだ野次が飛び、ものを取られたり隠されたりすることは日常茶飯事だった。

耐えきれなくなって、母に相談した。でも母は、
「いじめなんて存在するわけがない。嘘をつくな」
と言って、私の精一杯のSOSを一蹴した。
味方なんて誰もいなかった。学校にも家にも居場所がなくて、ずっと死にたかった。

厳しい両親はどれだけつらくても学校を休ませてくれなかったけれど、とうとう本当に心がしんどくなって、中学1年生の6月に初めて学校を休んだ。その日はずっと両親から怒られ続けた。
その後も、両親から怒られるのも学校でいじめられるのもどっちも嫌で、平日の朝は毎日のように泣いていた。泣いて泣いて、結局休むことの方が多かったけれど、学校を休んだところで罪悪感に苛まれて気は休まらなかった。次の日が来るのが怖かった。

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勉強が嫌なわけではなかったし、むしろ学ぶことは好きである。それでも授業に出られないから勉強が遅れて、成績はガタガタに落ちてしまった。
悔しかった。本当なら存分に学んで自分の糧にできるはずだったのに。
私を苦しめてきた人達がのうのうと生きて、学んで、好きな道を生きていくことが許せなかった。今だって本当は悔しい。不平等だと思う。

それでも時を経て、今の恋人に出会って人生の目標を持てるようになって、だんだん痛みは薄れてきた。
あのときの砂を噛むような辛さを忘れてしまうことが、果たして良いことなのかどうかは分からないけれど、それでも過去に囚われずに生きられるようになったとは思う。

学校まで来たのは良いけれど、教室に入れなくて階段で泣いていた私。唯一理解して欲しかった母から否定されたときの絶望。
あのときの痛みを、つらさを、無かったことにはしたくない。それも含めて私だから。
膿んでずきずきと痛むような傷は、今やっと癒えかけている。私に酷いことをしてきた人たちを許す気はないけれど、彼らは彼ら、私は私の人生を生きようと思えるようになった。
私を否定する人達はもういない。過去の亡霊に囚われないで、私は私の夢を叶える。大丈夫。

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いじめられたことを良い経験だなんて言う気はさらさら無い。その「おかげ」で強くなれたなんて、感謝する気もない。
ただ時間が経って、当時の痛みを忘れかけているだけであって、あのときの私は確かに痛かった。辛かった。
恨む気持ちを持ち続けるほど暇ではないから、結果的に時間が解決してくれたのだとは言えよう。

あのときの私を抱きしめに行って、「あなたは悪くないよ、大丈夫だよ」と言いたい。でもそれはできないから、あのときの私のようにつらい思いをしている人たちに、心から寄り添える人間に、私はなりたい。
つらかったら逃げても大丈夫。休んでもいいの。私はずっとあなたの味方だから。