時が解決してくれたこと、と聞いてまず頭に思い浮かんだできごとは、高校に入ったばかりだった私が直面しなければならなかった、母の死だった。

私は15歳で、2ヶ月後には16歳になるところだった。今年私は28になったから、あれから12年が経ったことになる。あと数年経てば、「母なし」で生きてきた時間の方が長くなってしまう。
そのことを考えるたびに、いつも私は毎回同じくらいの衝撃を受ける。

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12年前の自分と今の自分を比べてみた時に、その当時自分が抱えていた悲しみや苦しみや絶望なんかが「解決」されたのかと言われれば、そうではない気がする。そもそもそれは「解決」されるべきものではないのではないかという気もする。
しかし、「共存」していく術を身につけた、というか、それこそ時間が、少しずつ、本当に少しずつ、私に前を向いて歩いていく力をくれたと思う。

この12年間を振り返ってみると、だいたい3つくらいのフェーズに分かれる気がする。
1つ目のフェーズは、とにかく悲しみから逃げようとしていたフェーズである。15歳の私にとって、それはあまりにも手に余る悲しみだった。だから私は逃げることにした。

もちろん、初めから逃げようとしたわけではない。でも、その年齢で親との死別を経験していた、同じ境遇の子はなかなか見つけることができなかったし、今でこそSNSなどで情報を集めやすくなったものの、その当時は子供のグリーフケアに関する情報はあまりなかった。私は一人っ子だったし、父は自分の悲しみと向き合うので精一杯のように見えた。

だから私は日本から出て、どこか遠い場所に行くことにした。父にお願いして、まずはイギリスへ1ヶ月間、そしてその後は本格的にカナダへ1年間留学させてもらった。
異国の地にいるという刺激と、家との間にできたほどよい距離感に、当時の私は本当に救われたのだ。

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2つ目のフェーズは、私のこの悲しみを埋めて!と周りに叫んでいた時代。
海外に出たことは、決して間違いではなかったと思うし、イギリスやカナダで得た経験は、なにものにも代え難い経験だったと思う。しかし、正面から悲しみと向き合ったわけではなかったから、それは相変わらず、私の胸の中に、あった。そして私は、それと向き合おうとしなかったのだ。

代わりに私は、その心にぽっかりと空いた穴を、別のもので埋めようとした。そして多くの場合、別のものとはたいてい恋人だった気がする。そんなことできるはずもないのに、たとえできたとしても健全な関係になるはずもないのに、私は恋人に、本当は母に叶えて欲しかったもろもろを、押しつけた。

私の付き合った人たちは、みな優しい人たちだったから、彼らは一生懸命、私の高すぎる期待に応えてくれようとした。それでも私の期待は高くなる一方だったから、最終的に彼らは去っていったり、私から別れを切り出したりした。

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さて、ここ数年で私は、自分で自分の悲しみに向き合わないといけないのだということにやっと気がついた。これが、3つ目のフェーズである。

大切だった人を傷つけてしまったり、それで自分もより一層傷ついたり、なんとなく生きづらさを感じたり。そんなことを繰り返し、やっと、本を読んだりカウンセリングに行ったりして、自分が今まで感じてきたことを、もっとちゃんと知ろうと思うようになった。
少しずつではあるが、母との思い出を信頼できる人に話してみたり、その中でも本当は傷ついた思い出を言葉にして書き出してみたり、している。

母がいた時の方がもちろんよかったから、母との思い出で実は苦しかった部分――母には少し神経質というか、難しい部分があったのだ――を、無意識のうちに押さえ込もうとしていた。そんな思い出も、少しずつ整理し始めた。

大きな悲しみというのは、完全に乗り越えることは決してないのだと思う。この先私はこの悲しみとどうやってつきあっていくのだろう。
また数年後に今の自分を振り返り、あの時の自分も、その時の自分なりに一生懸命やっていたのだ、だから今の自分がいるんだな、そう思えたらいいなと思う。