私は大縄の8の字跳びが苦手だ。
助走のタイミングと決断力、大縄の中へと飛び込む度胸、跳んだ後さらりと捌ける素早さ、失敗すれば今まで積み重ねてきたものが無駄になるというプレッシャー……。
その全てが苦手なのである。
一方で、短縄は割と得意だ。後ろ跳びはちょっぴり怖いけれど、二重跳びも、放課後のグラウンドで1人でずっと練習していた甲斐あって、ちゃんとできる。何より、自分だけで完結する。自らの手と足の呼吸を合わせて小さなジャンプを重ねる。

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縄跳びと勇気は似ている、と私は勝手に思っている。ちなみに、私には勇気を持って何かをした記憶がほとんどない。大縄跳びと同様、苦手だからだ。
高校3年生の時も、専門学校へ進学し夢だったデザインやアートの業界に飛び込む勇気が無くて、A判定だった国公立の四年制大学に無難に進学した。勿論、日本文学や日本語表現も興味がある学問だし、こうしてエッセイも書いているくらい好きなのだが……。
現在もやってみたいと思うことがあるのにも関わらず、転職する勇気もなく、今の会社にそこそこ満足しながら働いている。まあ、幸せである。
私は、これまでの積み重ねを覆し、今後の人生を左右するような決断をする勇気が無い。
だからと言って、勇気が無いわけではない。
学生の頃から、知らない大人の人達ばかりのセミナーに1人、進んで参加していた。飛び込み営業にも何の抵抗もない。
人前で自分の意見も伝えられる。
このような勇気を私のなかで「小さな勇気」と位置付けるとして、とにかくその「小さな勇気」、つまり、その後の人生に大きな影響を与えないと予想されることに関しては、勇気はある方だと思う。ただ、記憶には残っていない。「小さな勇気」はあくまで日常的なものだから。
ただ、鮮明に記憶している「小さな勇気」もある。
それは高校1年生の終わり頃のことだが、指先まで痺れるようなドキドキを今でも覚えている。

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私は中学2年生からの初恋を、高校が離れ、会っていないのにも関わらず、高校入学後もしっかり引きずっていた。それは、バレンタインデーにチョコレートを渡せなかった彼への恋である(詳しくは「誰にでもチョコを渡していいはず。それが『略奪行為』だった、あの時」というタイトルのエッセイに書いている。よろしければそちらも合わせてご覧いただきたい)。
顔も見ていないのに記憶の中の彼がまだ好きだなんて、一途とはまた違うと思う。彼ではなく、美化された彼が好きなのだ。これからも彼は私の記憶の中でどんどん美化されるだろう。
暫く彼のことが好きなままでいる可能性は非常に高い。これはどうにか動かなくては……。

私と同じ高校に通う彼の友達から、連絡先を聞き出した。サラッと書いたが、勇気を振り絞った。別にその子とも大して仲が良いわけでもないし、当然のことながら何の用事があるのかと訝しそうだった。
こちとら、そもそも大して仲が良いわけでもない君に話しかける勇気と、大して交流があったわけでもなく、故に用事もそう無さそうな彼の連絡先を聞く勇気をダブルで出しているのだ。アドレナリンも一緒に出ているに決まっている。
「こいつ、まさかあいつのこと好きなんじゃ……?」って思いたきゃ思えよ、本当のことなんだから。私は特に嘘の口実も使わず、堂々とすることにした。
それなりの覚悟も決めていたのだが、あっさりと彼の連絡先を教えてもらった。

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彼も突然私から連絡が来て、驚いただろうに、無視をするでも、早々に切り上げようとするでもなくやりとりを続けてくれた。
数回やりとりをしたところで、私は人生で初めて「告白」というものをした。今のところ、後にも先にもこれが唯一、自分からした告白はこの告白だけである。
直接会って伝えたわけではないが、ドキドキしていた。恋愛のドキドキではなく、この文面を同じ中学校の男子達に見せられて揶揄われるのではないかという、ビクビクに近いドキドキだ。
ここに来て返信が来なくなるのではないかというドキドキもある。
どちらにせよ、ビクビクに近い。もう、ビクビクと書いてしまえばいいのだが、私の神聖なる初告白なので、ドキドキという表現を使わせていただく。そんな不安もありながら、私はこの恋を終わらせたくて、勇気を出して告白をした。
今日まで、この告白を誰かに言いふらしたような様子は感じられないし、どうやら彼は胸に秘めてくれたようだ。
「ありがとう。照れるわ」という彼からの返信もあった。

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本当に勇気を出して伝えて良かった。
シンプルにこの言葉に尽きる。私は、彼に想いを伝えることができてすっきりした。そして記憶の中の彼への恋を終わらせることができた。
「ありがとう」とか「ごめん」とか、彼からの返事はそんなものだろうと思っていたし、それで満足だった。
……のに!!加えて「照れるわ」と書いてくれているではないか。
私のような教室の隅っこにいる女子からの告白を揶揄うことも迷惑がることもなく……。
本当に照れてくれていたかはさておき、この告白がきっかけで、ちょっぴり自信が持てるようになった。
今でも彼とはSNSで微かに繋がっている。
もし、また何かの機会で彼に会えた時に、あの時の告白を誇りに思ってもらえるくらい素敵な女性になっていたい。

「小さな勇気」がこうして、人生に優しい風を吹かせてくれることもある。それに、記憶には残らなくとも、日常を作っていくのは小さなジャンプの積み重ねだ。
そういえば大人になってから、めっきり縄跳びをしなくなったけれど、まだちゃんと二重跳び、できなくなったりしてないかな。逆上がりも、一輪車も側転もできない私が唯一努力で手に入れた自慢の技だったのに。