去年の夏、私は適応障害と診断され、2ヶ月休職をしていた。
私はその休職期間を「大人の夏休み」と呼んでいる。
夏休みなんて言ってもワクワクした始まりではなく、不安だらけの始まり。会社に戻れるのか心配でしかないスタートだった。
が、結果的に2ヶ月後、私は自主的に復職することを選んだ。
今回はそんな「大人の夏休み」の思い出を語りたい。

突然、会社から逃げ出したあの日

当時私は「絶対にミスをしてはいけない」という固定概念に囚われ疲弊し、仕事はおろか東京にいることすら苦痛で仕方がなかった。
精神科へ行き、適応障害と診断された。
休職した方が良いという医師の判断の下、診断書をもらい、休職申請をしたその足で空港に向かった。

そして当時の恋人がいた県へ飛んだ(罪悪感しかなかったが)。
幸い、恋人は理解を示してくれて、居候させてくれた。
居候を始めた当初は長期間休むことへの罪悪感と、何をしたら回復するのか?そもそも、本当に会社に戻れるのか?不安だらけだったが、次第に時期的なこともあり、大人の夏休みなのでは?と思い始めた。

正確に言えば、休養期間なのだが、それだとなんだか荷が重い。
休養することに専念し、遊んではいけない。そう言われている気がした。
だが「大人の夏休み」と捉えると些か気が楽になる。
夏休みなら、何をしたっていい、自分の好きにできるからだ。
だから、私はこの休職期間を「大人の夏休み」にすることに決めた。

大人になった私の夏休みの思い出は、自分で作る

夏休みといえば、子供の頃は両親や祖父母がプール、海、山など色々な場所に連れて行ってくれて、思い出を作ってくれた。
だが、当時の私はそうもいかなかった。恋人は多忙で一緒にいる時間は少なかったし、自分一人で思い出を作る必要があった。
そこで私は「日常」を思い出にしようと思った。

縁もゆかりもないこの県では、地方スーパーでの買い物、カフェでのひと時、東京では見たことのないTVのコマーシャル、方言……全てが新鮮なのだ。
だから、私はスーパーやカフェ、デパートなど東京でも行けるような場所に行き、店員さんと会話してみたり、家にいる時はTVで東京では見たことのないCMを見ては驚き、特別夏休みっぽいことをすることなく過ごした(もちろん観光も少しはしたが)。

するとどうだろう、あれほど嫌だった東京の生活も悪くないと思えてきたのだ。
仕事が日常の大半を占めていたはずなのに、夏休みの間に仕事が「日常」から外れ、おまけのようなものになったのだ。

日常から「おまけ」になった仕事と私

おまけが悪いからといって人生において気にすることはない、そう思ったのだ。
そう思えたことで夏休みが終わり、新学期を迎えるようなフレッシュな気持ちになった。
だから自分で夏休みを終え、会社に戻る決意をしたのだ。
東京に帰り、医師と話し、すんなり復職の許可を得ることができた。

この夏休みを終えた現在、適応障害を再発することなくすっきりと仕事ができている。
また、仕事で行き詰まったらあの夏休みを思い出せばいい、そうすれば大丈夫。そんな自信がある。
この夏休みの日記帳をつけなくてはいけないとしたら、きっと毎日「遊んだ」しか書くことはないだろうが、筆舌に尽くしがたい貴重な思い出がこの夏休みにはあるのだ。