あの恋から学んだこと。それはズバリ、「愛されるよりも愛したいマジで」である。
数年前、大学の同級生が、アプリで出会った人と付き合っているという話を聞いた。その人はルックスも性格も良く、わざわざアプリなんて使わなくても、恋人には困らないだろうにと思ってしまう人だったというのと、今では出会いの主流になりつつあるマッチングアプリだが、当時はまだ出会い系のようなイメージも根強かっただけに、割と衝撃的だった。
◎ ◎
既婚者の友達にそそのかされて、というか実験台にされて、私がアプリをダウンロードする羽目になった。と言いつつ、始めてみると案外私のテンションも乗ってきて、条件の合う人がいたら、いいねボタンを何人かに押してみた。
お互いがいいねをすると、マッチング成功となり、メッセージのやり取りに移行する。そこで会話を重ね、気が合いそうな人がいれば、実際に会う約束をする。私は普段から連絡をまめにするタイプではないため、この工程が一番苦行だった。
そして、何人かと直接会うことになった。やはりまだ出会い系のイメージがあっただけに、本当にまともな人が来るのか心配にはなったが、どちらかというと、アプリを使わなければ出会いがない、私と同じようなタイプの男性ばかりだった。
その中の一人と数回デートを重ね、交際まで漕ぎ着けた。その時感じたのは、彼氏ができた喜びというより、どちらかというと、恋愛シミュレーションゲームのミッションをクリアした時の達成感のような感覚だった。「アプリすげー」という、風が吹いたら飛んでいきそうな、軽い感想しか出てこなかった。
それもそのはず、その彼は、条件はすこぶる良いが、彼に対して恋愛感情が全く湧いてこなかったのだ。
最初は楽しめていた。休日に出かけたり、ご飯を食べたり、旅行も何回かした。でもやっぱり、人間としては好きではあったが、異性として、恋愛対象として好きにはなれなかった。
20代後半でその「良好物件」を手放すのも惜しい気がして、毎日まめに送られてくる連絡に、普段使わない絵文字をつけて返信した。その時の私の目は、きっと死んでいた。
結局、1年くらい経った頃、限界が来た。一緒にいる時間が苦痛になってきた。連絡も返す気力がなくなった。もう無理だった。
この場を借りて謝ります。本当にごめんなさい。私には務まりませんでした。まともな女と幸せになってください。
◎ ◎
振り返ってみれば、私は今までも同じようなことを繰り返していた。相手から告白されて、まぁ別に嫌じゃないしいいかとオーケーして、でもやっぱり好きになれなくて、限界が来て、終わる。これが近年の私の恋愛パターンだった。
そして、「愛されるより愛したい」というか、「愛されるのも大事だけど、まずは自分が相手を愛せないといずれ終わる」という結論に辿り着いた。
この答えを導き出すまでに、随分と時間がかかってしまった。でも、20代のうちに、流れに乗って生き急いで、結婚を決断してしまう前に、気付けてよかったのかもしれない。
ルックスがそこそこ良くて、ちゃんとした会社に勤めていて、優しくて温厚な性格で……。これだけの条件が揃っていてもダメなら、逆にあと何があればいい?
これはもう、フィーリングとしか言いようがない。合うか合わないか。きっと、人間関係なんて、結局それだけなんだと思う。
相手を愛することができれば、自ずと相手と一緒にいる自分も愛することができる。相手のためにも自分のためにも、まずは自分から愛することから始めてみる。傷付くこともあるかもしれないけれど、これが失敗続きの恋愛パターンからの、脱却への第一歩なのだ。