コップいっぱいに敷き詰められた大きな氷。メロン味のかき氷シロップに、炭酸を混ぜた安っぽさを感じる緑色の飲み物。そこの上に乗るのは少しクリーム色がかったバニラアイス。
バニラアイスと氷の接地面はしゃりしゃりとした独特の食感になり、ストローでソーダを飲みながら食べるか、バニラアイスだけをスプーンですくって食べるか迷ったものだ。

もう22年も前になる。
初めて見たクリームソーダは鮮やかで、子ども心をくすぐるものがあった。当時、リンゴ、オレンジ、ぶどうジュースは飲んだことがあったが、これほどに鮮やかな緑色の飲み物は飲んだことがなかった。また、緑色の飲み物の上に鎮座するバニラアイスを見たことがなかった。

いかにも体に悪そうな色。母に飲んだことがバレたら怒られるのではないかと不安に思うこともあったが、それを口にした時、不安なんて吹き飛んだ。なんとも言えない甘さが口いっぱいに広がり、幸福感を得られた。アイス好きの私にとったら、甘い飲み物と大好きなアイスとの組み合わせは最高でしかなかった。
そんなクリームソーダと出会ったのは、祖母の営む喫茶店だった。

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家の隣にある祖母の喫茶店は、私の生まれる何十年も前から営業していた。
小学生の時、私は祖母の喫茶店で家の鍵をもらってから帰るようにと言われていた。そのため、小学1年生の時から喫茶店に行っていた。

学校から喫茶店に寄るとランドセルをカウンターの椅子に置き、「店の手伝いをする!」とへたくそにおしぼりを巻いてお小遣いをもらっていた。私がおしぼりを巻いた後、祖母がこっそりきれいにおしぼりを巻き直していたっけ。
祖母の肩たたきをすると、「ありがとう」と祖母から100円をもらえた。レジにキラキラの10円玉があると、「これほしい!」とねだってもらったこともあった。

カウンターでコポコポと丸底フラスコでコーヒーを作る祖母の姿を見ながら、今日もいい香りだなぁと香りを嗅ぎながら宿題をする。
私はまっすぐ家に帰らず、喫茶店でのんびりと過ごしていた。何気なく過ごした喫茶店での時間が心地よく好きだった。

祖母が「今日は暑いから」と出してくれたクリームソーダをきっかけに、夏になると学校帰りにクリームソーダを注文した。タダで飲みにくる迷惑なお客さんだったに違いないが、祖母は嫌な顔一つせずせっせとクリームソーダを用意してくれた。

クリームソーダを飲むときの幸福感はたまらなかった。学校で嫌なことがあっても、祖母の作るクリームソーダと喫茶店の雰囲気が癒しになって、気分良く家に帰れた。

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でも、もうその喫茶店はない。祖父が亡くなり、祖母が1人で経営していたが、祖母が75歳になったのを機に、1人では大変だということで店をたたんだのだ。
店自体の耐震強度も弱く、もう取り壊すしか道がないらしい。
私の思い出のクリームソーダはもう飲めない。いや、クリームソーダだけの問題ではない。私の思い出の詰まった喫茶店がもうなくなってしまう。

私の心に小さな隙間ができた。仕事で忙しく、喫茶店のことなんて深く考えたことがなかったが、教員になって、学校から帰った時に温かい居場所があることの大切さに気づいた。
そしてこの喫茶店を建て直したくなった。祖母が働いていた頃とは時代が違うため、同じような喫茶店にしても経営として成り立たないかもしれない。祖母のように喫茶店一筋は難しいかもしれない。でも、私は「おかえり」や「ただいま」、「いってらしゃい」や「行ってきます」を大事にするお店を作りたいと思った。地元を愛し、愛される優しいお店を作りたいと思った。
お金を貯めて、自分も周りも心地よいと思える場所を作り、いつかより多くの人に幸せを提供できる人になりたいと願うようになった。
小学生の時に飲んだクリームソーダは、私に大きな夢をくれたのだった。