「いつに戻りたいですか?」もしそう聞かれたら、私は「中学」と答えるだろう。
中学の頃は上手く自分が出せず、結局は悪目立ちという形でしか自己表現出来なかった。中学2年から中学3年にかけては授業をサボり、非行に走った。
結局、高校進学も出来なかった。それよりも今の楽しさを取った。
アルバイトしても続かない。夜に街を出歩いては、母に頭を下げさせた。
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そんな私が20歳になり、定時制高校に通った。動機は「変わりたい」その一心だった。中学を卒業したばかりの子たちと同じように学科試験を受け、無事合格。
同級生はみな、中学上がり。
初めはやる気満々で卒業したら大学に行こう!と思えるぐらいだった。理科部と野球部マネージャー、部活にも入った。
でも段々楽しくなくなって、授業中も保健室や、廊下をうろうろするようになった。
結局、私は2ヶ月で学校を退学した。
私を苦しめた原因、それは自分探しの旅から戻れなくなったからだ。
変わりたい、明日は上手くいく、何でみんなと同じように出来ないんだろう、私は何なんだろう……。その繰り返しの中で気持ちだけが先走って、行動に移せる力がなかった。
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ただ、2つ学んだことがある。
1つは中間考査で満点を取ったこと。
1教科だけだったが、他も99点や、80点台と、成績がよかった。
こんなこといままで一度だってなかった。勉強したことすらなかった。もっと言えば「0点の方が笑えるし」ぐらいに思っていた。
そんな馬鹿だと思っていた私が、やれば出来るんだという自信と、素直に褒められることの嬉しさを知った。
もう1つは、授業をサボり謹慎になったことで知った先生たちの気持ちだ。
「お前はこんなところで終わる人間じゃないだろう」
いままでの私の人生は人に迷惑を掛け、嫌なことから逃げては、同級生に置いていかれるようなものだった。
けれど、そんな私にもかばってくれる人がいて、話を聞いてくれる人がいて、真剣に叱ってくれる人がいた。
だからこそ、退学になってしまったとき、「ごめんな、守ってやれなくて」その言葉が一番嬉しくて、一番苦しかった。
また気持ちに応えられなかったことが情けなくて仕方なかった。
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学校を辞めてから私はハローワークに通い、介護の職業訓練を受けた。
平日朝から夕方まで。正直しんどかった。けれど、次だけは諦めたくなかった。
もう少しで就活も始まる。こんな自分に命ある人のお世話が出来るのか、不安もある。
けれどもいままでの自分があったからこそ、悔し涙を流したからこそ、また踏み出すことが出来る。
私は現在21歳だ。人と、社会との関わりがあったからこそ今の自分がいる。
みんなの中に私がいて、私の中にもみんながいることの大事さを痛感した。
自分探しの旅に出てしまい、路頭に迷ってしまった私だが、今振り返れば全てが良き出逢いで、名残惜しい思い出たちだ。
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何のために生きるのか。
生きることに意味があり、生きている中でたくさんのことに気付き、経験し、人のために生きることで社会と繋がりを持ち、そこで役割を見つけ、それこそが自分の生きる意味だと私は思う。
「意志あれば道開く」は私の好きな言葉でもあるが、道は違えど、もう戻れずとも、いまいる場所で輝きたい。
介護の現場で頑張ってみたい。
それはきっと、巡り巡って母や先生たちに「ありがとう」と伝わることだろう。
ここからが私のリスタートだ。