「誰かと一緒に暮らすなんて私には無理だ」
23歳の時、私は静かにそう思って家を出た。
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「家」と言っても、正確に言うとそこは実家じゃない。母親と妹と暮らしていた、仮住まいのようなアパートだ。
「正確な実家」には、父親が一人で住んでいた。両親の仲は私が10代の頃からずっと悪かったけれど、決定的な亀裂が入り、別々に暮らすことになった。私が18歳の時の話だ。
決定的な亀裂を入れたのは、私だと思っている。
18歳になったばかりの頃、私は自殺未遂をしたことがある。
機能不全気味の家庭、馴染めない学校、何も上手くいかない受験勉強。すべてがふいに嫌になって、いっそのこと強引に終わりにしようと思った。
もう全部どうでもいいから早く楽になりたいとしか思えなくなった。
口論ばかりしていた両親は、死のうとしたけれど死ねなかった私のことを巡って、ああでもないこうでもないとさらに互いを責め合った。
生き地獄だ、とぼんやりした頭で思いながら、口を閉ざして引越しの準備を手伝った。まるで夜逃げするかのように、女3人で慣れ親しんだ家から出て行った。
母と妹との暮らしはしばらくの間は順調だったけれど、だんだんと自分の感情のコントロールが取れなくなっていった。そして、倫理的には許されないことと頭では分かっていながらも、死への漠然とした憬れはまだ残っていた。「死んだら楽」を「でも死ぬのは怖い」でやり過ごしながら送る毎日は不安定で、気付いたら私は母親と一言も口を利けなくなっていた。
そうして、仮住まいのアパートを出て、私は一人になった。
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誰にも邪魔されることがない一人の暮らしは、驚くほどに静かだった。
傷つけられないし、傷つけることもない静かな世界は確かに安心するものではあったけれど、胸を張って「楽しい」とは言えなかった。自分でも、なんてややこしいのだろうと思う。一人は楽だけれど、同時にさみしさが常にまとわりつくものでもあった。
一人暮らしにもすっかり慣れた25歳の夏、私はある人と出会った。
出会いのきっかけは仕事の場だったけれど、次第に親しくなり、長電話をする頻度が増え、私と彼は出会ってから半年後に恋人となった。「ずっと一緒にいてくれる?」と優しい顔で問いかけた彼に、私はこっくりと頷いた。
彼は、私が今までに出会ったことのないタイプの人だった。
飄々とはしているけれど、妙な愛嬌がある。すっと懐に入るのが上手くて、こちらの緊張をいとも簡単にほぐしてくれる。けれど基本的にはふざけていて、おちゃらけた態度ばかり取る。「また変なことばっかり言って」と、私はよく呆れている。
しかしそんな彼と過ごす時間が増えていくうちに、私は、自分が毎日笑っていることに気付いた。笑いすぎて、引き攣った口角が痛くなるくらい。
「いつもいっぱい笑ってくれるところが本当に大好きだよ」と、彼は事あるごとに私に言う。
生きた感情は、18歳の時にもうほとんど失われていたものだと思っていた。だから彼の言葉にも、そしてよく笑う自分にも驚かされた。
感情、死んでなかったんだ。
自分の置かれている状況が自分のものとは思えなくて、そして身に余りすぎて、私は笑うだけじゃなくて同時によく泣いてしまう。哀しいからじゃない。彼が私に与えてくれる時間があまりにも幸せだからだ。
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付き合い始めてからたった1ヶ月しか経っていないのに、私の家に半強制的に転がり込んできた彼。
家庭にも結婚にも良いイメージを持っていない私に、毎日のように「お嫁さんになって」と健気に言い続けた彼。
「大好き」「ありがとう」「ごめんね」を、いつでも素直に言葉にしてくれる彼。
そんな彼と一緒に暮らしていくうちに、私の中の細胞はおそらくごっそり入れ替わってしまった。
死を意識的に考える場面が、ほとんどなくなった。何でもないことで笑い合う毎日を彼と過ごしているとつい忘れそうになるけれど、これは奇跡に近いことだ。
そしてさらなる奇跡を、彼は私にプレゼントしてくれた。今年の夏、私が27歳になったばかりのタイミングだった。
ちなみにそれは、彼とお揃いだ。
慣れない苗字を大事に抱いて、私はこれからも彼と生きていく。
もう、死にたいとは思わない。