大学生の頃、当時関係のあった彼の家で半同棲をしていた。彼は家を空けていることが多かったため、一人暮らしのような時もあったし、一緒にダラダラ過ごしている時もあった。
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わたしは家賃や生活費を一切渡していなかったため、完全に居候のような立ち位置ではあったものの、大学とバイト先まで歩いて行ける距離にある彼の家は控えめに言っても最高で、徐々に家に帰らなくなるわたしがいた。親は迷惑をかけているのではないかと眉間に皺を寄せていたが、わたしは「だって、わたし学生だから」とケロッと言って逃げ回っていた。
この半同棲という形態は、今振り返ると最高なわがままだったなと思う。「わたしは学生だから」と開き直って、「でも美味しいとこどりはしたいの」と甘えている。我ながら可愛いなと思ってしまう。こんなふうに自分の無力を素直に認めて、人に寄り掛かることを自然にできることって、凄く大切なことだと思うのだ。
わたしたちは社会人になってお金を稼ぐこと、責任を持つことを学んでいく。そしてそれがどれだけ大変かを知り、誰かに寄り掛かることがその人にとって負担になるのではないかと、上手に弱さを見せられなくなっていくのかもしれない。
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わたしは今現在、色々な事情があって実家で父親と妹と暮らしている。しかし、来年の春を目安に一人暮らしをするために、最近物件探しをゆっくりと始めた。
物件探しはこの世で苦手なことベスト3に入る作業で、どこも同じに見えるために一向に進まない。正直、バス・トイレ別で予算に見合っていればなんだって良いと思っている。
そしてふと今の暮らしの快適さが恨めしくなる。実家にいることの最大のメリットは、金銭的なものではなく、人がいることなのだなと思い知らされる。
娘だからと、一人暮らしをしている時よりも開き直っていられる。あの半同棲をしていた時の気持ちが少し蘇るのだ。
ご飯を作ったら感想が聞ける。もはや感想を聞きたいがために時間をかけてでも手の込んだものを作りたくなる。一緒にテレビを見て独り言のように呟いた感想を拾ってくれる。そしてわたしも家族の呟きを拾って広げる。
よく一人暮らしに慣れると「もう人とは一緒に暮らせない」という発言も耳にするし、わたしもそう思っていた。でも意外と、一人の時間ってコントロールできるもので、誰かと一緒にいる時間の方が作りづらいのだなと学んだ。
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大人になって尚更人に寄り掛かることが難しくなったからなのかもしれない。弱い自分、無力な自分を否定的に見るようになってしまった気がする。そして同時に、とても綺麗な何かを失ってしまったような喪失感を感じる。人に頼ることは弱さではなかったのに。
だって、人に頼られるってとても嬉しいじゃないか。一緒にその人の悩みに入っていけるって、その人に足りない部分をわたしが補ってあげられるって、自分の存在を認められる素敵な時間じゃないか。
そう頭で分かっていても、なかなか自分は人を頼ろうとしない。だからこそ、あの半同棲の経験や、この実家での時間が有難い。
今わたしを幸せにしてくれている彼と暮らしたらどうなるのだろう。だから次なる疑問が、同棲ってどんな感じなんだろう、だ。わたしは同棲の経験がないのでよく分からないが、いつか経験したいなあと思っている今日この頃だ。彼とならいいな。