私はSNSがあまり好きじゃない。理由はすぐに投稿者を羨ましいと思ってしまうから。その写真が選び抜かれた最高の一枚で、それが毎日ではないとわかっていても、やっぱり心のどこかで妬んでしまう。
大学時代はそれが最高潮で、facebookだけでもSNS=自慢の場だと感じた私は、インスタにもツイッターにも手をつけなかった。

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そんな私でも続けているSNSは、facebookと中国のwe chat。facebookは前の同僚やその友人、外国人の知り合いなど「友達とも呼べないが、顔見知りの人たち」と繋がるのにちょうど良い。私の場合、彼らは仕事の宣伝や近況をつらつらと載せるので、嫉妬ではなくむしろ応援する気持ちで、地域や学校に貼ってある手作り新聞を読む感覚で利用している。

we chatは大学の研修で出会った、中国の友人たちとのコミュニケーションツールだが、日本とは違った気楽さがある。
国民性というのもあるけど、中国の人たちは思ったことをそのまま書いたり意見するから、言葉の裏を読まなくて済むし、相手の反応に正直に喜べる。ちょうど良い距離感とその素直さに自分の素をだせるなんとも言えない場。

以前結婚の報告を彼らにすると、心から喜んでくれ、出会った頃と同じテンションで祝福してくれた。なんというか、距離感があるからこそ、彼らが言ってくれる「可愛い」や「綺麗」という言葉には下心や含みがない。相手も自分もピュアでいられるこの関係とツールはとても貴重だ。

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それゆえ、ほろ苦い思い出もある。
当時の研修で顔見知りになり、ご縁で連絡先を交換した男の子がいた。研修が終わって帰国しても、彼とはたまに連絡をとり、チャットする仲になった。
翌年彼は日本の学校に通うため来日し、互いの学校も遠くなかったため、たまに会うようになった。お茶をしたり、映画を観たり、おにぎりを作って一緒に山登りもした。
彼は高尚な話ができる稀な友達だった。互いの文化の違いや疑問点を、各々の知識で全力で説明し合ったりと、彼は恋人でも親友でもない、なんとも特別な友達だった。

彼とは互いに大切な人ができてから会わなくなった。チャットもしなくなり、疎遠になった。結婚報告はそれ以来だったが、投稿するとすぐに個人メッセージが来た。

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あの時代、私たちには何も起こらなかったけど、それは彼の優しさと、それ以上にならない何かが私たちにはあった。
「何とも言えない、一生の友達」という彼からの言葉に、「私もそうだよ」と答え、あのときそこに青春はあったけれども、それでも私たちはそのままでいられる友情もそこにあって、これからもそうだよと確認し合うようにメッセージを締め括った。

人との繋がりと、ほろ苦い青春。今では連絡手段だけでなく、ニュースや広告を見る私にとっては「テレビ」なSNSだけど、私と人を繋いでくれる大切なツールであるのは今も昔も変わらない。