先日テレビを観ていたら、懐かしい音楽のPVが流れていた。
平成初期当時の画質とアスペクト比のビデオ。
田舎道の中にあるバス停に、砂埃を立てながらバスが止まる。華奢で目鼻立ちのはっきりとした女性と男性が映っていた。無数のひまわりがそれを彩る。
映像の空気感が、私が小学生だった頃の時代を鮮烈に思い出させた。

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私は映像から想起して、同じ頃に放映された映画『世界の中心で愛を叫ぶ』を観たことを思い出した。

小学生の頃の友達と一緒に観に行ったなとか、その友達は途中から不登校になってしまって、私も彼女を理解しきれず傷つけてしまったなとか。普段は心の奥の押入れにしまっていたような記憶が、棘と当時の匂いと共に引き出された。

その時代に立ち込めていた飽和からの開放の象徴として感じていた「世界」の感覚も、今ほど繋がっていなかったように感じた「世界」の懐かしい感覚も思い出した。

とある有名バンドがグランドキャニオンで歌っている姿を撮っていたのを観て、歌と世界と私が連なっているような気がした。世界の最高峰の山に挑戦する登山家の伝記を読んで、人間の儚さを思った。親戚がくれた海外写真家の小さな本がおしゃれだった。「世界の貧しい子供のために募金しよう」と小学校の先生が言って、私もそれに共感した。

私が小学生の頃、「世界」は遠くて、お金を貯めて大きな決心をして飛行機を乗り継いで辿り着くものであった。テレビで制作された映像や本の情報から想像を膨らませるしかない「世界」は、漠然とした未知なる何かをも秘めていた。閉塞は一方で、開きでもあったのかもしれない。

当時、「世界」どころか同じクラスの友達とも、今ほどは接続されていなかった。携帯かパソコンからメールを送って、その返信を待つことでそれがかなった(年上の方には昔はもっと大変だったのよ、と言われてしまうと思うが)。

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私が大学院生になった頃には、SNSはかなり普及していた。今ではメールを待たずとも、インスタを開くと、遠くにいる友達のランチの写真が当たり前にフィードに流れてくる。
「こんなランチ食べて羨ましいなぁ」。彼女は料理を仕事にしているから、さすが食べているものも美味しそうだ。

「今、こんな仕事してるのね」。中学生の頃、おてんばでみんなを笑わせてくれるタイプだった子が、彼女に潜在していた徹底的な美意識を生かして、ペットトリマーとして才能を発揮しているようだった。
遠くにいる友達とも何年も話していない友達とも、一瞬、まるで近くにいるように錯覚する。

憧れていた海外にも何回か滞在した。
私が行った頃には、海外の空港でもホテルでも当たり前に簡単にインターネットに接続できた。ホテルの部屋に帰ってスマホからインスタやフェイスブックを開くと、家でみていたのと同じような画面に一瞬で繋がった。

数ヶ月前、夜眠れずツイッターを開いた時、ロシア語で書かれたツイートが目に入った。兵士が操縦するドローンにカメラと爆弾が取り付けられており、その視点から撮影された映像のようだった。カメラは破壊された建物の陰で休んでいる兵士を真上から映していて、彼はとても疲れている様子であった。彼は自身を慰めており、ドローンを操縦する人はそれを嗤っていた。そこへ爆弾が落とされた瞬間の映像だった。
フェイクの可能性もあるかもしれないが、そうだったとしても、私が彼を冒涜したようで、見てしまったこと自体を悔いた。

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遠くにいる友達のランチの写真も、想像を絶するような戦争中の映像も、ベッドの中で同じ手のひらの上から傍観する私。
おかしい、のだけれど、ふと田舎道のバス停に舞う砂埃にまみれてみたくなった。
砂埃が今も昔も変わらず私を傍観者ではなくするような気がして。