私は今まで、実家暮らし→一人暮らし→実家暮らし→夫と二人暮らし、という変遷をたどってきた。実家暮らしが間にも挟まるという出戻りパターンだが、このとき抱いた感覚は、一人暮らしを始める前の実家暮らしと少し変わっていた。
美味しくて栄養の整った食事を用意してくれること、料理の他にも洗濯などの細々とした家事をしてくれることに、改めて感謝の気持ちを抱く。それは当然のこととして、また別に、しみじみとありがたいと思えることがあった。
それは、すぐ近くに話せる人がいるということである。

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確かに、一人暮らしは内向的な自分にとって非常に良い訓練になった。友達を作ろうと積極的に声をかけてみたり、空回りして結局大人しくなったりしつつ、最終的にはいろんなことを話せる友達ができた。閉店まで食堂に残ってしゃべりまくったのも、飲み会で日付をまたぎそうになったのも、実家にいたらできなかっただろう。

だが、家に帰ってくると当然一人である。頻繁に遊ぶタイプでもなかったので、休日は1日中一人で過ごすことも多くなる。そうなるとどうなるか。独り言が増えるのだ。
いや、それもそれで、好きな作品を見るときなどに人の目を気にせずはしゃげて楽しいのだが、ずっとだと時折虚しくなる瞬間が訪れる。あるいは、ふと思いついて誰かに言いたいけど、わざわざ連絡するほどのことでもないような話などは、その高ぶる気持ちの行き場をどう処理すべきか困ったものだった。

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それが実家にいると、ポロっと言うことができるのである。さらに、実家は誰も部屋を持たず、全員がリビングにいるので比較的話しかけやすいのだ。
もちろんそのときの状況や機嫌を見計らうことは重要。昔はそれで失敗したこともあるので、大人になった私は以前よりもその辺をわきまえるよう心掛けている。これは、1回目の実家暮らしに比べて成長した点かもしれない。

そしてなにより、私が人生で最も会話のキャッチボールをスムーズにできる人が母なのだ。
正直、込み入った話は意外と友達のほうが話しやすいこともあるし、同じ境遇だからこそわかりあえることもたくさんある。しかし、他愛もない日常会話における言葉の出数とスピードは、おそらく母と会話しているときが最大だと思う。

それはおそらく、人生で一番長く時を過ごしてきた相手であり、その長年の関係値によって、自分の発言に自信のない私が気負いせずに話せるから。さらにそれに拍車をかけるのが、母が私の発言にめちゃくちゃ笑ってくれるということ。私って面白いのかな? と勘違いしてしまうくらいだ。その結果、自分でも不思議なくらい饒舌になるのである(ちなみに、父とは反抗期の名残か未だに若干ギクシャクしてしまっているが、性格と好みは父似だと自信を持って言える)。

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しかし、こうした実家の安心感は、私の手柄ではない。同じ生活サイクルを過ごしてきたことで、大小さまざまな共通認識が自然にできていたということ、そして、両親が私の性格をつかもうとし、それを踏まえて接し続けてきてくれたからである。このことに気づいたとき、両親、実家というものは、かげかえのない存在であると改めて痛感したのだった。

現在、夫と二人暮らしを始めて1年弱。温かい空間を作るためには、以前のような受け身ではいけないのだろう。両親がしてくれたように、相手を知る努力、そして相手に知ってもらう努力をすべきだと、帯を締め直した。