2023年、私は愛らしくなることを宣言します!
と、これを職場の人や私のリアルを知っている人に言ったところで、「おいおい、どうしたんだ」と言われることでしょう。
わかってはいます。だって、25歳を超えた辺りで年齢を数えることをやめた女だから。年齢なんて気にしない、と、思いつつも勝手に落ちていく体力や勝手に増えていく体重に、どうしようもなく「年齢」を理由につけてしまうくらいなのですから。
それでも、私が「愛らしくなる」と宣言するのには、理由があります。それは、憧れの女性がとても愛らしいからです。

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私には、憧れの女性が2人います。どちらも表舞台に立つお仕事をされている方で、私よりほんの少しだけ年上です。彼女たちを見るといつも「私もこの人のようになりたい」と強く思います。
けれど実際はどうでしょう。新しい仕事を始めて毎日必死になって仕事を覚えて、くたくたになって帰って、栄養など考えないてきとーな晩御飯に、しっかりと乾いたかもわからない風呂上りの髪。スキンケアだってきっと年齢に合わせて見直したほうがいいのに、いつまでも同じ。
なんとかやっとの思いで一日を終わらせることで精一杯。そんな毎日です。彼女たちのように、輝いている瞬間などひと時もないのです。

私はこのことを、ずっと「仕方がない」と諦めてきました。新しい仕事が始まったばかりだから、毎日忙しいから、過去の私が過食をしてしまい乱れた体型を戻すのには体力が足りないから。
たくさんの理由を探しては、つけて、今の生活を必死で守ってきました。

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けれど、先日とある奇跡が起きました。
それは、憧れの女性の1人と同じような体験をしたことです。具体的にいうと、3年前に私も参加したイベントで、彼女は初めて憧れの職業の方を生でみたホールで、自分自身のコンサートを開催することができたと言っていました。そのときは「すごいな。やっぱりこの人のことが好きだ」としか思っていなかったはずです。
しかし今年、彼女が体験したことと同じようなことが私にも起こりました。憧れの彼女を初めてみた会場で、エッセイの授与式があったのです。

私はなんの奇跡かその会場に呼ばれました。毎日必死で、何かを諦めながら生きていた私にとって、青天の霹靂とはこのことをいうのだぞ、と誰かに言われているような気がしました。
授与式に参加した後、私は彼女のコンサートDVDを見直します。やっぱりそこに映る彼女はどうしようもなく愛らしくて、私は思うわけです。
きっとまだ諦めるのには早いのだろうと。

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そのことに気付かせてくれたのが、2022年。だから、2023年はこれを行動に移していこうと思います。
愛らしくなるって具体的に何をするの?というのは、まだこれから決めていきますが、憧れの彼女たちは2人とも言葉選びが素敵な人たちです。だからまず、そこから始めるのも良いかもしれないと思っています。エッセイを書き始めたのも今年ですから、言葉選びから磨いて、そしてゆっくりと外見も変化させていきたいと思います。
例えば、笑顔や身振り、身なりや髪型。ゆくゆくは体型も。少しずつ、ほんの少しずつだけれど、憧れの2人のように愛らしく、そして自分自身を愛せるようなそんな自分になっていきたいと、23:30をすぎて未だにメイクを落としていない私は考えています。

現状はこれですから、道のりは長いのかもしれません。
でも、そのようなこともすべてまるっと笑ってしまえるくらいに、私は2023年愛らしくなっていく予定です。