「東京で失敗したら、諦めて地元に帰るよ」
上京しようとしている主人公が、「だから、もう少し頑張ってみる」と続ける、ドラマでよく聞くこのセリフ。小学生の頃から、夕方4時のイケメン俳優さんのこの言葉にしびれていた。
新たな挑戦を意味するこの言葉を口にしてみたいという憧れもあり、言えないという嫉妬もあり、いろんな感情を抱えながら東京で生まれ育った。都内でも転々と賃貸物件を変えていたため、これといった地元感を感じる地域もなく、大人になった。

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大学に入学すると、他県から来る学生も多かったため、年末の授業では教室の後ろに置かれているキャリーバックを羨ましそうに眺めたりした。そして年が明け、お土産をもらう度に、少しだけ寂しくなった。私は年末に遊びに行った東京駅のスイーツをお返ししたりした。
母の実家は台湾だからなかなか行けないし、そもそも言葉が通じないから旅行感覚の方が強かった。一方、小さいときによく遊びに行った父の実家は、経済難でとうに売却されていた。所謂“おばあちゃんち”も、うちには無かった。
就活のタイミングで大阪や岩手など、都外に出向いてみたものの、東京を出る決定打もなく、結局社会人になっても東京を離れずに過ごしていた。
「ふるさとってあったかいのかな」
「地元の友達って、やっぱり最高なのかな」
「親戚で集まってお雑煮とか作って食べるのかな」
そんな思いを抱えながら、知らない人で埋め尽くされた満員電車に揺れ、舌打ちをされる日々を送っていた。

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そんな私は今、地方と呼ばれる地域に仕事で来ている。1年間限定のため、この地域に対してのふるさとを感じるには至らないが、それでもなんとなく思うことは出てきている。
狭い地域であるため、みんなが顔見知り。逆に言えば、悪いことなんてみんなできない。満員電車で舌打ちをされることもないし、歩いたときに肩が当たって怒鳴られることもない。それどころか道を歩けば笑顔で挨拶をしてくれたり、お裾分けしてくれたり、家族かのように優しくしてくれる。

そんな温かい日々を過ごしているからだろうか。東京を懐かしく感じる。
休みの日に行っていた公園にまた行きたくなる。アルバイトしていたカフェにも遊びに行きたい。駅前のコンビニの店員さんのレジさばきもまた見たい。図書館の閉館日は変わっていないだろうか。

私は、とっくにふるさとを手に入れていた。
そして今後も家を買う予定はない。でも、クリスマスパーティーや忘年会、新年会やなんでもない会をやる友達や家族がいる。地元のお土産はなくても、おいしいスイーツを食べに親友とお出かけをしたりできる。“おばあちゃんち”はなくても、祖母のお墓に一緒に行ってくれる姉がいる。温かい料理は作れなくても、一緒に夕食を食べに行ってくれる母がいる。
帰れる場所も、待ってくれている人も沢山持っていることに気が付いた。

「仕事がひと段落したら、あなたの元へ帰ります」
そう心に思いながら、乗船名簿を書いて、久しぶりのふるさとへ。