「今日は幼なじみとディズニー!これからもずっと一緒」
「中学のイツメンで久しぶりに集合!大好きなメンバー」
インスタを開ける度、目に飛び込んでくるのは、高校や大学で出会った友人たちのキラキラしたストーリーだ。それらを見る度に、何とも言えない複雑な気持ちを感じる。
理由は単純で、私にとって手の届かない遠い世界だからだ。

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小学校の同級生3名とたまに地元で集まるものの、彼女たち以外に今も交流がある友人は小学校時代にはゼロ、中学時代に至っては一人もいない。
しかし高校、大学に入ってからは、放課後や休日に誘い合って遊びに行くような友人が沢山できた。我ながら成長したと思う。

話は私が小学生だった頃に遡る。
人と話すのが苦手で、自分の殻に閉じこもりがちだった私だが、かろうじて心を許せる、前述の3人の友人がいた。しかし、全員が中学受験をして私立中学に進むことになり、仲良しメンバーの中で私だけが地元の公立中学に入学したのだ。
最初は緊張感に包まれていた私だったが、「これは成長のチャンス」と自分を奮い立たせ、積極的に同級生に話しかけた。その結果、気がつけば同じクラスの4人の女の子たちと一つの仲良しグループになれていた。
「良かった、私ちゃんとしてるんだ」と本当に安心したのを今でも覚えている。

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少しずつ歪みが生まれ始めたのは、中1の夏頃だ。
あの年代の女の子には珍しいことではないが、前述の4人は全員、「どこに行くにも何をするにも一緒」というタイプだった。最初は何も思わず一緒に行動していた私だが、だんだんそれがしんどくなってきた。それで、一人で行動したい時はその気持ちに従うなど、自分の心地よい距離感を選ぶようになると、あっという間にグループから弾かれてしまった。

焦ったし、怖くなった。大丈夫だと思ったのに。自分もみんなと同じ「普通」になれたと思ったのに。
必死に笑顔を貼り付けて、別のグループの子に話しかけてみたりもした。でも、入学から半年経った教室には既に何本もの境界線が引かれていて、その内側で手に手を取り合っている女の子たちは、今更新メンバーを迎え入れようとはしなかった。
中1の9月から3月。私は教室移動も休み時間も、全部独りで過ごしていた。
その経験があって、中2、中3の時は、たとえ一人で過ごしたい時でも必死で会話の輪に入り、「もう振り落とされまい」と誰かにくっついて過ごしていた。
どうかもう失敗しませんように。「みんな一緒」の「みんな」の中にいられますようにと祈りながら。
100%辛かったわけじゃない。部活や習い事など、楽しかった思い出もある。それでも私にとって中学は、暗くて冷たい水の中を、独りで延々と泳がせられたような場所だった。

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「独りぼっち」と「みんな一緒」の両方を経験した(させられた)子ども時代を過ごした私は、中学卒業時に「どっちも辛かったな」としみじみ思った。
そこで、高校生、大学生になると、同級生たちと適度な距離感を持って付き合うようになった。日常的に一緒に遊んだり、お昼を食べたりするけれど、「今日は自分一人でさくっと食べたい」と思ったらそれに従う。気の乗らない誘いは、丁寧な言葉でお断り。
一人で過ごしている同級生を見つけたら、心細そうな顔をしている場合にのみ声をかける。明らかに自ら「一人」を選んで、自分のペースを楽しんでいる相手に対しては、必要以上に話しかけない。
人と合わせるのが苦手だった小学校時代からも、とにかく「独り」が怖くてたまらなかった中学時代からも、私は大きく成長したと思う。

ちなみに、中2、中3の頃に同じグループにいた友人たちとは、今は一人も連絡を取り合っていない。今思うと、当時の私は独りになりたくないがために彼女たちにくっついていたため、お互いに本音で話し合ったこともあまりなかった。クラス替えや卒業をきっかけに、連絡を取らなくなっても当たり前のことだ。
今の私は「この人のこういうところを尊敬できる、好意を持てる」という基準で友達を見つけられている。これも「私の成長」だと思う。

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気がつけば22歳になっていた。大学卒業がこの春に迫っている。全くと言ったら嘘になるが、一人で過ごすことはもう怖くない。
卒論を書くゼミを選ぶ時は、「あそこに一緒に入ろう」と誰かと合わせることもなく、学科で最も厳しいと皆に避けられている教授にさっさと願書を出した。大学生になってからハマった美術館巡りは、ほぼ一人で楽しんでいる。勿論、同じ学科の友人から「あそこ一緒に行こうよ〜」と誘われれば首を縦に振るけれど。誰かと一緒に美術館に行くと、自分では絶対に持てない視点から感想を言ってくれたりして、凄く面白いからだ。
こうして、一人行動と集団行動の両方を楽しみながら毎日を過ごしている。

インスタを開く。今日もキラキラしたストーリーがいっぱい。
この子もあの子も当たり前に持っている、「中学時代の友達」が私には一人もいない。でもそれでいい。
あの時は毎日が辛かったけれど、明日こそ学校を休もうと思い続けていたけれど、だからこそ成長できたと思っているから。紆余曲折あって、今の自分にある程度満足しているから。

今日は何だか、一人の気分だ。久しぶりに、お気に入りの中華料理屋で「一人ラーメン」でもしようかな。
私はよっこいしょと立ち上がり、玄関の戸を開けた。