あ、また、あがっている。
2月に公開されてから10ヶ月。そのエッセイは、夜が深まるにつれ、ランキングの上位に浮上する。

Twitterで「これは私が一番死にたかった頃のお話」と紹介したそのエッセイでは、持病の双極性障害の悪化から自分の部屋と殻に閉じこもり、LINEを開かず誰とも連絡を取らなかった私が、社会的に死んだ半年のときのことを綴った。

半年ぶりにLINEを開き連絡を取った友人に、引かれるか止められるかと思いつつ、鬱々とした気持ち、「死にたい」という気持ちをぶつけたところ、返ってきたのはそのどちらでもない意外な言葉であり、それで私はやっと泣くことができたのだった。
決して明るくなく、じめじめとしたエッセイだ。投稿したときは、こんなに暗くネガティブなエッセイなど、読んでくれる人などいるのかと不安だった。

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その不安は杞憂だった。ここから先は自画自賛注意報。
上述したように、掲載されてから10ヶ月間、このエッセイ(「人間関係を絶って半年。「死にたい」と言った私を友人は止めなかった」)は、毎日ランキング上位に上がり続け、Twitterでは多くの反響を集めた。

コメント欄も多く寄せられ、しかもその多くは長文で感想を、またはご自分やご家族の辛い状況を綴っていた。簡単な気持ちでこのコメントに返信はできないと思った。読者の方への自分なりの精一杯のメッセージを、何日も書いては消して推敲し、500字の上限までぎりぎりまで書いた。

そして、2022年に最も読まれた、かがみよかがみのエッセイ「コミュニケーション」カテゴリーの中で、私のこのエッセイは、第1位となった。
このエッセイの締めは、「ありがとうと直接伝えられない代わりに、私はこうして過去の自分に、そして誰かに届くように、こんな文章を書いている」と締めた。

もしかしたら、このエッセイで、私は何かを誰かに伝えられたのではないか。文章を書くことをライフワークにしたい私にとって、このエッセイは、間違いなく「記念碑」的なものであり、現時点での私の「代表作」なのである。

しかし、しかしである。
私の2023年の目標は、このエッセイを超えるエッセイを書くことなのである。

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このエッセイは、半年ぶりにLINEを開き友人と連絡を取り、久しぶりにお風呂に入ったところで終わる。だからと言ってすぐに本当の社会復帰をしたわけではなく、その後大学に復学しその後就活・卒業・就労するまでには、また多くの紆余曲折があった。その中で、私を救った、または私を支えた一つの笑いについて今日は書いていこうと思う。

引きこもっているとき、社会から、友人からとの関わりを断つと、訪れるのは身も心も削るような焦燥感と劣等感である。私もそうだった。

自分から連絡を絶ったのに、「ああどうせみんな私のことなど忘れたのだ」というネガティブさ、「どうせ私なんて誰からも愛されない、私に友達なんていなかったんだ」という卑屈さ、「世間から置いて行かれた」という切迫感、「私なんてどうせ孤独死するのだ」という悲壮感、「自分はこのままじゃいけない」という焦り、でも「どうしていいのか分からない」という迷子感、「ずっと引きこもっていて情けない、自分の殻に閉じこもっていて情けない」という閉塞感。

その全てがブレンドされたネガティブ感情のカフェラテのようなものを毎日飲んでいた。カフェインの過剰摂取で下痢を起こすように、私も毎日自己否定の下痢状態を起こしていた。

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LINEを復活させ、友人と連絡を再び取るようになっても、まだもやもやは続いた。辛い、苦しい思いは、すぐに消えるものではなかったのだ。
だから、当時1か月に1度通院していたメンタルクリニックで、そのまま先生にぶつけた。「ずっと引きこもっていて、情けない」「自分の殻を破りたい」と。
そうするとその先生は、私の言葉を受け、こう言った。
「あなた、お姉さんと、相部屋なんですよね」
そしてこう続けた。
「それって正しく引きこもれているんですか?」と。

確かに私は、小学1年生から姉が結婚して家を出るまで、18年間相部屋だった。引きこもっている当時も然り。「正しく引きこもれているか」と言われたら、まったく一人きりの時間などなかった。

「まさにその通りだな」と思った私は、診察室ではじけるように笑い出してしまった。お腹の底から、心の底から笑うなど、いつぶりだっただろうか。気づいたら、身体の中心が少し軽くなっているような、そんな笑いだった。

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人によって辛いことの乗り越え方は様々だ。時間をかけることしか解決方法がないこともあるだろう。
私にとって、計4年間のひきこもりを乗り越えた瞬間は、「過去」にすることができた瞬間は、LINEで友人に言葉をかけてもらい涙を久々に流した時、そして「正しく引きこもれているのか」と先生に診察室で聞かれて爆笑した時、この2場面だった。

落ち込んだときは、しっかり落ち込んで泣く時間も絶対に必要である。悲しみは心を癒す上での大切なステップだと思う。でも、落ち込んだ人を前にすると、笑顔にしたくなるのも私たち人類の真実だ。

だから、私はあのエッセイを超えるエッセイを書きたい。落ち込んだ人があのエッセイを読んだあとに、ふと「この人って他にどんな作品書いているんだろう」とまよのページに遊びに来てくれたときに、ふふっ、と心の荷物を下ろすことができるような、そんなエッセイを。

願わくは、2023年、かがみよかがみのエッセイランキングに、新しい笑えるエッセイとあのエッセイがワンツーフィニッシュをするような。そんな文章を書ける人に、私はなりたい。そんな文章を書く一年に、今年はしたい。

今年もよろしくお願い致します。