私は家族に「ありがとう」が言えない。
「ありがとう」だけではない。「ごめん」や「おはよう」も言えない。
別に家族仲が悪いわけではない。むしろいいほうだと思う。
けれど、なぜか言えないのだ。
それに気づいたきっかけは、母の日だった。
小学校四、五年生のころだったと思う。
そのころはお金なんて月一で貰う五百円と、風呂掃除などで稼いだお手伝い代くらい。
一体それで何が買えるだろうか?お花と、メッセージカードくらいだろう。
◎ ◎
母の日の例にもれず、私はカーネーションとカードを買った。
近所のお花屋さんと百円ショップで買い物すれば、もうお小遣いはなくなる。
それでよかった。だって母の日なのだから。
結論から言うと、カーネーションは渡せたが、メッセージカードは渡せなかった。
恥ずかしかったのだ。今さら言葉にして伝えることが。
「いつもありがとう」
たったそれだけの言葉でも、普段は口に出して言うのは恥ずかしい。だからメッセージカードがあるというのに。
カードすら、私は手渡せなかった。
「こんな事改めて言うなんて恥ずかしい……」
「らしくない、と笑われるに決まってる」
そう思って、カードは誰にも見つからない引き出しの奥へとしまい込んでしまった。
カーネーションだけでも、母は十分に喜んでくれた。でもメッセージカードも渡したら、もっと喜ぶはず。
わかっていたのだ。
にもかかわらずできなかった。
◎ ◎
その時、私は家族に挨拶をしないことに気がついた。
私だけではない。家族みんながそうだった。
朝起きて顔を合わせると、「おはよう」のかわりに「おお」か「はあい」。
誰かに物を取ってもらうと、その返事は「うん」。
繰り返すが、家族仲は悪くない。
家族の在り方としてそういうふうになっている。
だから面と向かって挨拶を交わすことが恥ずかしいと感じてしまうのだろう。
今も挨拶はない。飼っている猫に挨拶はするが、人間には一切しない。
私は文章を書くのは得意だ。
作文も得意だったし、中学校のころは弁論大会にも出場した経験がある。
今も意気揚々とこのエッセイを書いているくらいには、文章に抵抗はないのだと自負している。
私にとって書くことは楽しいし、自分の悩みや世間への批判を持ち込むこともできる。
けれど、心の内にある言葉を身内に伝えるとなると、めっきり不得意になる。
恥ずかしいという思いが徐々に膨らみ、ペンを走らせられても伝えることはできない。
◎ ◎
ふと、誰かに感謝をつづる時に思い浮かぶ。
あの時渡せなかったメッセージカード。
母はその存在を知らない。
机の引き出しの奥深くにしまい込んだ秘密の言葉を、私はまだ伝えることができずにいた。
たぶん、まだ口に出して伝えるのは恥ずかしい。
けれど、いつかは伝えたい。渡せなかったメッセージカードと一緒に今度こそ。
今の時代、伝え方はたくさんある。
手紙やカード以外にもなんだってあるのだから、私が私らしくできる伝え方を探そう。
本当は感謝してもしきれないほどたくさんの「ありがとう」が私の中にあるのだから。