昨年を表す言葉は、まさに健康だった。
4月に隠れ肥満が発覚したことがきっかけにヨガをはじめ、週に5回ほど通うようになった。食事面ではお菓子を減らし、栄養バランスの摂れたものを心がけるようになった。その他にも、9月には長年患ってきた鼻炎を完治させる手術を行い、症状を大幅に改善することが出来た。
20代ラストにして、これまでにないほどの健康体が手に入った。

2023年はさらに健康な年にしよう。そう意気込んでいた矢先であるが、私は現在健康ではない。正確に言うと、精神的に不安定である。新年早々恋愛について考えさせられる出来事があり、これまでを振り返ると自分のしてきた交際にはある負の共通点があることが発覚した。

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昨年のクリスマス、私は5歳下の後輩に告白された。11月に会う約束をすると、その次の月にも会いたいと言われ、彼の知る観光スポットに出向くのも良いのかと思って承諾したところ、その次の週のクリスマスにも会いたいと言われた。
誘われた場所が観光スポットであったことから察知はしていたが、帰りのレンタカーの中で告白され、それからラインでの会話がため口となり、より頻繁となった。
できた大人の中には、好きではないけど付き合ってみてよい所を探そうという恋愛もあると言い、私も半年くらいは様子を見るつもりでいた。
しかし元々は好きでなかった相手であった故に精神的負担が大きくなり、後輩(彼にとって先輩)に相談したところ、負担が大きいなら今すぐにでも別れた方がいいというアドバイスをもらった。せめて年始は快適に過ごしてもらおうと、1月2日の夜に振った。

そして何より、私が彼を好きになれないことには深い理由があった。
私は2017年に誤解によって別の後輩が離れていった(「可愛くて大切な後輩が突然、私から離れていった。抱いた喪失感の理由」)以降、本気で恋をすることができなくなっていた。この時抱いた想いを胸に私は5年もの間、一歩も進めないでいた。そして今回も同様、この件を引きずり好きになれないでいた。

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振った後、アドバイスをくれた後輩に事後報告をした。後輩には私が相手に心を開いて本意ではないものの告白を承諾した経緯を話していた。すると、
「人の顔色を伺う必要はありません。自分のために生きてください」
と言ってくれた。その時、はっとした。

私はこれまでの人生の中で、自分のための恋愛をしたことが一度もない。交際はいつも相手に言われるがままで、自分で意志を伝えたことはない。決して恋をしないわけではなく、寧ろ片思いは何度もしているというのに、自分に自信がなく、相手を不快にさせることがただただ怖く、想いを伝えたことはなかった。

時代は令和。現在の女性は、愛されるよりも愛したい人が多いという。
それもそのはず。私はこれまで好きでもない人に告白され、うまく断ることが出来なかった。でも、そのすべては精神的に苦痛であり、幸せではなかった。好きでない人と交際するより、好きな人とする方が幸せに決まっている。正論だ。

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実は、片思いの最中に他の異性と交際するのは今回が初めてではなかった。6年前、私は博士課程の先輩に恋をしていたのにもかかわらず、8歳上の男性に告白され、その押しの強さから断ることができないまま交際することとなった。
この時も今回と同様、幸せではなかった。しかしその頃はまだ若く、この現象が綿矢りさの『勝手にふるえてろ』に似ていることから「綿矢りさ現象」と揶揄して面白がっている部分もあった。

しかし3月には30になる年齢と、これが二度目である事実に押し付けられ、精神的な苦痛がどっとのしかかった。思えば性役割分業の残る時代の一般職OLだった『勝手にふるえてろ』の良香も、イチを手に入れるために同窓会まで企画したのに、私は何もしていない。
結局、恋愛市場において最も重要なのは、容姿でもスペックでも性格でもなく自己肯定感と行動力だ。私はそのどちらも持ち合わせていない最底辺である。加えて恋愛で精神的苦痛しか味わっていないのなら尚更そうだ。

けれども今回は後輩が私の性格を分かった上で私に見合ったアドバイスをしてくれた。ついでに、「今後は告白をOKしないように気を付けないといけないですね」とのことだった。まさにその通りである。
そんな私はこのアドバイスを胸に、いま5年間疎遠だった後輩に手紙を書いている。たとえ)何の進展がなくても、私の心情を伝えようと思って筆を取った。そして私自身も、精神的に成長できればという想いを抱いて。