確実に私の声は2メートル以上飛ばない。

声は紙飛行機のようだと思う。
空気に乗せて、遠くまで真っ直ぐ飛ばす。
ブレずに飛んでいく紙飛行機を横目に、私のそれが誰にも届かないまま2メートルのところで落下した。

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自分ですら自分の発した音を聞き取れない時がある。
自分の存在を音にして遠くまで響かせてやる、という気概が足りないのだろうか?
肺活量や腹筋の使い方など物理的な原因なのだろうか?
量産型の容姿と主張の少ない態度と声の通らなさが相まって、存在感が昔から全くない。
祖父の葬式の集合写真にいるはずの自分を見つけられなくて、ようやく見つけたときは幽霊かと思った。
学生時代、合唱コンクール練習の時の、「男子ー!静かにしてー!」という遠くまで響く音を思い出し、ドスの効いた大声でうるさい人達を脅す自分の姿を妄想する。脅すという物騒な表現を使う割に、現実では行動できない。思考と振る舞いが乖離している。

私は1人でドロドロ、グルグル、考え続ける。
誰も近寄らないような、底無し沼に足を突っ込んで深くまで潜り、帰ってこれなくなる。
「自意識過剰」「キモい」「クズ」
私が、勝手に他人を代表して私を言葉で突き刺す。

家族、親戚、友人……。私の半径2メートルを取り囲む人々は、生憎なことに純粋にみえる人が多かった。
素直に感情を態度に表している。その感情は全て真っ直ぐに見えた。
「楽しい」「悲しい」「嬉しい」、どれも真っ直ぐで、爽やか。私のそれらのように複雑に絡まって、ドロドロしてはいない。
私は私の感情を排水溝のヘドロのような、汚くて、臭くて、蓋をしなければいけない存在だと思った。
周りの人たちは臭さに耐えられないだろうし、何より汚いことを知られて、嫌われたくなかった。

◎          ◎

数ヶ月前、「セックスの非対称性」というネットの記事に興味を持ち、セックスの快楽の性差について検索していたら、かがみよかがみに辿り着いた。 
勿論、半径2メートル以内にいる人に、小一時間セックスの快楽の性差について調べていたなんて無邪気に言えないので、また排水溝から目を背ける理由が増えた。
しかし、セックスに関わる記事以外にも、ここには、私が目を背け続けた感情が記されていた。
現代を生きる、私と同じ世代の、平凡な女の子たちのリアル。
複雑に絡まった感情を一つ一つ丁寧に解いている様子を見るのが楽しくて、夜明けまで記事を読み続けた。
「私にも出来るかな」
そう思えた。
心の蓋を開けて、自分の醜くて汚い内面と対峙する勇気が生まれた。

複雑な感情と対峙して分解していくうちに、醜いと思っていたそれらは、本当は純粋で、尊いものであることに気付いた。
醜いものも、純粋なものも、表裏一体だ。
醜い感情の存在も肯定したいと思えるようになった。

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「こんなこと、私しか考えていない」と思っていたことが、かがみよかがみには、よく掲載されている。私は書いた記憶が一切ないのに、不思議だ。
勝手に、明るくて、前向きで、楽しい感情しか許されないと思い込んで生きていた。
許されないことを、私以外の人も考えていると知ったことで、私は勇気付けられた。
私は、許されないことを書きたい。

大声を出せなくても、文字にして掲載することで、半径2メートルより遠くに飛ばせるのならば。
半径2メートル以内の空気を、大きく震わせられるようになるために、半径2メートルより遠く離れた私に、聞いてほしい。