自然と目の前の人に寄り添える。私だけが見つけたナナの素敵なところ

おにぎりを握りながら出逢ったあの子。
2年前、facebookとinstagramのDMに「ももみさん会いたいです!」って連絡をくれた女の子。
歳はわたしの1個下で、身長はわたしよりスイカ1個分ほど小さい。

わたしの初めての主催である、食卓を囲む会“もぐぽか”に来てくれた。
だんだんと葉桜に移り変わる4月の半ば、小さな身体にカメラをぶら下げ、くしゃっと笑うと糸目になるその子に出逢った。
私の読みたい!のひとことで、“半径3メートル以内を幸せにする”という本を持ってきてくれた。

そして、みんながおにぎりを握る中、ウキウキしながらカメラを握りしめていた。

その日のLINEグループには、ひとりひとりの素敵な笑顔がアルバムいっぱいに載っていた。
自然に目の前の人に寄り添える、そんなナナを写真ごしに見つけて嬉しくなった。ワタシだけが見つけたナナの素敵なところ。心の中でじんわりと温めてみた。

「モモはナナにとってのたいせつさんの1人なんだ」

「モモの話聞きたい~」っていつも連絡をくれた。
ナナ無しでは色がでなくなりそうなほどに、“もぐぽか”にいつも来てくれるようになった。
ナナの笑い声とナナの切り取る写真という世界がだんだん好きになった。
いつしか私の所属している学生団体で一緒に活動することになり、ともに過ごす時間も増えていった。

毎週木曜日のミーティングが終わった後、博多駅まで30分かけて歩いて帰るのが日課になった。気付いた時には、1週間に起こった出来事と感じたことをシェアする”たいせつな時間”になっていた。
自分の嬉しかったことも、悲しかったことも、珍しい感情も、気付いた自分の変化も、目一杯話して、目一杯聴いた。

「いつもありがとう」
「この時間はたいせつだね」
そんな言葉が毎週飛び交うようになった。

1年前くらいかな。
「モモはナナにとってのたいせつさんの1人なんだ~」といつも話してくれていた。
その時のわたしは、
「ありがとう」と嬉しさと有り難さを伝えていた。

でも今は、「私もナナがとてもたいせつだよ、ありがとう」と答えられる自分になっていた。
わたしだけが、素敵な想いをもらっていたからね。やっと想いを抱えられて伝えられたことにほっとしたの。

ナナにとってたいせつなモモは、モモにとってもたいせつなナナになっていたよ。

男の子でも女の子でも同じように”好き”を抱くこと、”彼氏”や”彼女”って言葉があまり好きじゃないこと、自分のことを人として好きになって欲しいのに女の子としては好きになって欲しくないこと、いっぱい共有できたの。
きっと私たちは”ひと”を”ひと”として好きになることが同じだったんだと思う。
女の子だから男の子だから、とかじゃなくて、あなただから好きなのって感覚。

そして何より、ポジティブな感情が生まれる空間が好きな私たち。それは、”嬉しい”や”楽しい”が人を自然と笑顔にさせることを知ってるから。
その反面、マイナスな感情は同じ空間にいる人を笑顔にはできないって思ってて。だから、”寂しい”や”悲しい”が出せないの。マイナスの感情を出すことがなんだかちょっと悪いことって思ってるのかもしれないね。

女の子ならよくするらしい”恋バナがうまくできない私”も”マイナスな感情をうまく出せない私”も。
ナナとなら、そんな私はいつの間にかいなくなっていたんだ。

離れていても、いつもワタシはナナのそばにいるよ

いつもフラットに捉えてくれる。
モモをモモとして受け取ってくれる。
そんなナナにいつの間にか、心地よさとあたたかさと安心をもらっていたよ。
いろんな感情を持ったナナがつくってくれる空気が、私が私を出すにはちょうどよかったんだろうね。

そのときは気付かなかったけど、今だからわかるんだあ。
これだけ一緒にいて、これだけ想いをぶつけられたってことは、たいせつになれていた証拠だったんだよね。

ナナは4月から東京に行っちゃったけど、いつもワタシはナナのそばにいるよ。

ナナの撮ってくれた写真を見るとナナの心の中を少し垣間見れた気がする。そして、たまにナナの言葉にムカつくの。へへ。”ムカついてる私”を存在させてくれてありがとう。なんてちょっとおかしいかな?

きっと半径3メートル以内にいるんだよね。私たち。