自分は結構だらけがちな性格で、日記とか書こうとすると、頑張るし半年くらいは続くのだが、ある日突然ぱたっとやらなくなる。何だか面倒くさい人間なのだ。
そんな自分でも文章にして残すという事の大きさ、書かれた言葉による励ましの大切さを知った出来事がある。

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20歳の時の話だ。当時は新社会人で一生懸命働いていたが、現実は上手くいかない日々だった。
仕事はびっくりする程周りに付いていけない。やる事なす事失敗続きで毎日のように怒られていた。悩みは増えていったが、こんな自分の話を聞いてもらうとか申し訳ないと思って相談など出来なかった。自分の事をどうにかしようとしてくれた人もいるが、自分の事を嫌っている人が多かった。
いつしか、一生懸命メモって何度も繰り返しやっているのに一向に頭に入らない、何か言われるたびに泣いてしまうという謎の現象に悩まされた。
当然会社に居場所はない。私は「ヤバい奴」みたいな認定をされた会社のお荷物だった。

でもたった一つ不思議と感じていた事がある。それは「この気持ちはいつか絶対に肥やしになるし、リアルな気持ちを書き残したい。この気持ちを忘れたくないな。」という事だった。
日記という形でスタートしたそれは日々の仕事の中で感じたこと、言われた言葉、通勤の時や休憩時間1人で聴いていた曲の歌詞など。書くことが出来ないくらい元気のない日もあったが、出来る範囲で続ける事が出来る限り、とにかく自由に書き綴った。

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結局その職場は1年で半ばクビという形で退職をした。日記は1年間でノート2冊半。相変わらず長く続かなかった。
読み返すと心が痛くなり、涙がでることもあった。日記に綴られた歌詞の曲を聴いてもそうだ。正直忘れてしまいたいと思う事も書かれている。  
でも、ノートに書かれたあの頃の色々な事にぶつかりながら生きていたリアルな言葉や、忘れてしまいがちな思い出にノートを開くと励まされる事もあり、辛い日々を生きた事に誇りすら感じる。
その度に「書く」という事がどれだけ大切な事かを知る。その言葉が綴られたノートたちは形として残ったお守りでもあるし、中に綴られた言葉は何があっても忘れてはいけないリアルな感情でもあり、今の自分の中で大きく影響を受けた事だ。
それは時がたった今でも変わらない。

私にとって「書く」という事はリアルを形にして残すという事だと思う。嬉しかった事、苦しかった事が言葉や生きた証としてリアルタイムで形に残る。リアルな言葉は今しか綴れないと思う。振り返って書くのではきっと全然違う文章になってるかもしれないと思う程だ。
そして言葉を綴ったノートを開くたびに時が戻るような感覚や、心に蘇るリアルな感情がある。
そしてそのリアルに未来の自分が励まされ、人生に大きな影響を与える事もあると思う。

そして今、エッセイを書き残す事でまだ見ぬ知らない人をリアルな言葉で励ます事が出来るかも知れないと新しい「書く」という理由も生まれようとしている。