私の地元は某二刀流メジャーリーガーを産んだ地だったり、世界遺産が近くにあったりする。しかし、映画館がなかったり、在来線はSuica非対応だったりもする(もっといえば自動改札ですらない)。よくある田舎の中のちょっとした街だ。
ふるさとについて同郷の方と会うと盛り上がることもあるが、基本的に会話ではメジャーリーガーと世界遺産頼みな場所、それが私の地元である。

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そんな地元に、今年、3年ぶりの里帰りを果たした。仙台空港から地元までの電車に揺られながら、珍しく地元に帰り、家族に会うことを今か今かと心待ちにしていた。

ふるさとを離れて早10年。いままで、バイトや仕事のせいにして盆と正月どちらかに帰ればいい方で、帰ったとしてもあまり長居をすることがなかった。そんな地元に居たくなかった私が長居したいと思えるほど、帰省できない3年は長かった。
帰れなかったのは流行りの病の関係で、親の職場が県外から来た人との接触に良い顔をしなかったのが大きい。この土地はあっという間に近所に情報が知れ渡るため、病に対して敏感なところがあるのも理由の一つであろう。そんな見えない縛りが私のふるさとには存在する。
私はその不自由さから解放されたくて、ふるさとを離れたんだっけ。まさか帰省を許されない不自由があるとは思わなかったが。そんなことを思いながら、最寄駅に降り立った。

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改札を出ると母が待っていた。それを見て思わず泣きそうになった。白髪を生やし、一回り小さくなったと感じたからだ。
自分の年齢を考えれば、おばあちゃんでもおかしくない年齢なのだけど、3年前はこうじゃなかった気がする。私の記憶の中にいる母は、もっと実年齢より若く見られていて、もっとふっくらとしていて、もっともっと大きな存在だった。
「お帰りなさい、よく来たね」
電話越しと変わらない声が、なんだかちぐはぐに思えた。

そのあと母の運転する車で地元を走る。「なんだか寒いね」「今年はとても寒いんだ、あなたの住んでいる北海道には敵わないだろうけど……」という他愛のない話をしながらボーッと車窓を見つめる。
……気がついたら、見たことのない橋を車が進んでいる。前は工事中だったと思う道が開通している。でも、工事が入る前は田んぼだったのか、りんご林だったのか、思い出せない。やっとたどり着いた実家も、心なしか電気が暗く、部屋が狭くなったような気がした。

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明くる日、休みの日によく友達とプリクラを撮った商業施設に行った。
飽きもせず友達と語ったフードコートも、ゲームセンターもバレンタインデーに買い物に行ったお店も閉店し、施設自体が閑散としていた。聞けば、その商業施設は近々閉店し、公共施設として生まれ変わるそうだ。
ある程度は綺麗だったと思っていたふるさとが、人も街も少しずつ変わり、色褪せていくような悲しさがあった。

私の思うふるさとは、もう現実にはない。地元の友達は全国各地に散った。地元に新しい道ができて、スタバができている。昔からあるお店もテナントが変わったり、移転したりしている。
私が青春を過ごしたふるさとではなくなってしまった。懐かしさに浸ろうとしても、今住んでいる人たちが住みやすいように進化している。
不自由だと感じて、早く家を出たいと思っていたあの頃が、あの街並みが、かけがえのない戻らない日々であったことを今の地元は教えてくれたのだ。
帰りの電車内で、これからは定期的に地元に行こう、心の中でふるさとは繰り返し再生しよう、と私は密かに決心した。