“ふるさと”という言葉を聞くと、どこか懐かしい雰囲気を感じるのは私だけだろうか。
幼少期の頃に過ごした場所、自分が生まれ育った場所という印象を持つ。だからこそ、今の私は“ふるさと”という言葉に親しみを感じていないような気がする。
例えば「あなたのふるさとは何処ですか?」と聞かれたとしても、直ぐに答えを言うことができない。まだ学生で実家暮らしなので、“ふるさと”という存在がまだ確定してないからだろう。
今の時期、私は“ふるさと”が何かを知らない放浪者のような存在のように思う。
でも仮に“ふるさと”を生まれ育った馴染みのある場所とするならば、私は“ふるさと”に良いイメージを持っていない。

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私の“ふるさと”は、問題ばかりが起こる地域だ。
小学校の頃は不審者情報が毎週先生を介して伝えられていたし、クラスではいじめも頻発していた。先生の悪口を言う子や暴力を振るう子もいて、とても安心できるような場所ではなかった。
コンビニやスーパーも家の近くには無く、高齢者の方が多い過疎地域。電灯が少ないため夜になると辺りは真っ暗になった。
暴走族のバイクの音が夜中に鳴り響き、放火によって全焼した家もあった。公園で子どもたちが遊ぶ姿もほとんど見ることができない地域。それが私の“ふるさと”である。

余りにも多くのハプニングが起こるので、自分が生まれ育った地域でありながら愛着を持ったことはない。私はこの地域に存在していながら、地域と関わりを持ったことは殆どなかった。むしろ、心のどこかで「この場所から離れたい」と思っていた。

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転機が来たのは、私が地域の子とは違う学校へ行くことが決まったときだった。この地域との関わりを持つことが更に薄くなる絶好のチャンスだと思った。
「学生時代を不安とともに過ごさなくていい!」と思った私は安心していた。
学生時代は勉強もしつつ、そこそこ充実した日々を送り、“ふるさと”のことなど考えることはほぼ無かった。
でもあのパンフレットがきっかけで、私は“ふるさと”を思い出した。

それは成人式のパンフレット。別の学校に行く前の同級生たちが写真の中にいた。
私は別の学校に行ったので、彼らとの関係は無くなっていた。キラキラした振り袖を着た女の子、ピシッとスーツを着た男の子がパンフレットに載っていた。ともに同じ“ふるさと”で過ごした人たちが写真の中で満面の笑みを浮かべながら、成人式を過ごしていたようだった。

その時、私は少し悲しくなった。
その写真の中に私はいない。“ふるさと”から距離を置いた人間だからだ。
昔の同級生はニコニコしているのに、私の心はもやもやしていた。
“ふるさと”にいたくないから離れたのに、昔の同級生が自身の“ふるさと”で仲間たちとニコニコ笑っている姿は本当に幸せそうだった。
その中で“ふるさと”に対する温度差を感じてしまったのだ。

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私の“ふるさと”。問題ばかりが起こっていた、私が生まれ育った場所。
ずっとそこにいたくはないと思ったから、私は距離を置いた。
でも距離を置きすぎたのではないかと今では思う。
久しぶりに“ふるさと”を散歩してみると、コンビニができていた。公園の様子も変わっていた。
嫌な思い出ばかりではなく楽しい思い出もあった。子どもの頃に遊んだブランコはもう無くなっていた。

変容していく私の“ふるさと”。
ずっと距離を置いたままだったけれど、少し近づいてみたいなと心の何処かで思う。