私は今まで20年間生きてきて、文章を読むことにも書くことにも苦手意識を持ったことはない。それは小学6年生のときの担任の先生のおかげだと断言できる。

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その先生は、「とりあえず本をたくさん読んでおけ!」とよく言っていた。先生曰く、本を読むことで身に付く読解力はどの教科にも必要になるから、今のうちに読むべきということだった。
その教えにより、私たちのクラスは週1回必ず全員で図書館に行く時間があった。それに加え、自習やテストなどの時間には、やるべきことが終わった人は本を読んで良いことになっていた。
このように、当時の私は好きな本を楽しく読んでいるだけのつもりであったが、今振り返ると、自然に読書の習慣と読解力が身に付いていたのである。

また、そのときに文章を書く力も身に付いたのではないかと思う。
私は、文章を書く力を身に付ける唯一の方法であり、手っ取り早い方法が本を読むことだと思う。
読解力があったら文章は書けるようになる。逆に言えば、読解力が無ければ文章も書けない。このことを強く実感したのは私がアルバイトをしているときである。

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私は小中学生が通う塾で講師としてアルバイトをしている。そこで国語の授業を受け持ってみて、他の教科と比べて解説が難しい教科だと感じた。

国語の授業では生徒にテキストの文章を読ませて、問題を解かせ、先生が解説をするというのが一連の流れである。中学生の国語のテキストには、文章に書いてあるものをそのまま抜きだして答えたり、選択したりする問題が多い。そのような問題は答えられる生徒も多く、解説もここに書いてあるからという理由で済む。

それに対して、文章を要約する問題や文章のテーマを選ぶ問題、起承転結などのまとまりに分ける問題になると一気に正答率が下がる。また、そのような問題は解説しづらいときも多い。
例えば、文章のテーマを選ぶ問題では、4つの選択肢は全て文章中に書いている内容なのである。そのため、文章に書いてあることを選ぶと全て正解になってしまう。そこで大事なのが読解力である。文章全体を通して最も伝えたいことは何なのか、を読み取る必要がある。

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また、作文の丸付けをするときには、その生徒が文章慣れしているのかいないのかが文章にわかりやすく表れていると感じる。その違いは、読む側が読みやすいか読みづらいかである。
文章慣れしている生徒は、一度目を通すだけですんなりと内容が入ってくる文章を書いてくれる。それに対して文章慣れしていない生徒は、読者のことを考えずに自分の言いたいことをそのまま書くため、句読点が全くない文章になってしまう。
このように、良い文章を書くためには、普段からたくさんの文章に触れる必要があると思う。

私の思う良い文章とは、読者が読みやすい文章である。
今後、趣味の多様化によって子供たちが読書をする機会は減っていくと考えられる。また、学校という現場においては教師不足によって生徒一人一人の文章を読んで先生からフィードバックするという機会も減っていくだろう。
そんな時代で読解力と文章を書く力を身に付けるには、本を積極的にたくさん読むしかないのである。