「文章を書く」ということは言葉を紡ぐこと、気持ちを伝えることとイコールなのではないかと私は思う。

このテーマでエッセイを書くにあたって、「文章を書く」という行為を、いつ、どんな時に、なぜしているのか、思い出してみた。

宿題を終えるために作文を書くとき、友達に気持ちを伝えるために手紙を書くとき、などなど。思いのほか自分は「文章を書く」という行為をしていたことに気づいた。
この例の共通点は、言葉を紡いでいること、そして気持ちもしくは自分の思いを相手に伝えていること。冒頭にも明記した通り、この二つの点が「文章を書く」という行為を示している。

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私は「文章を書く」ことで相手に気持ちを伝えた経験が幾度もある。その中でも印象に残っているのは、高校卒業時によく面倒をみてくださった先生に宛てて手紙を書いたことだ。

毎日のように会っていた先生に向けて、直接感謝の気持ちを伝えることは私にとって少し恥ずかしいものだった。直接伝えられなくても、手紙で伝える方法があることを思い出し、自分なりの表現で、自分なりの言葉で先生への感謝を手紙に綴った。卒業式当日、しっかりと先生に手紙を渡すこともでき、晴れ晴れとした気持ちで高校を卒業した。

卒業から一年後、用事があり、高校に出向いた際、偶然にも先生と再会することができた。その時先生が「手紙がすごくうれしかったし、感動した」「今も大事にとってある」「仕事をする活力になっている」こういった言葉を私にかけてくださった。

その言葉を聞いたとき、私もとても心が温かくなって、直接感謝の気持ちを伝えられなかったとしても、手紙で伝えてよかったと思えた。「文章を書く」ことで、私もそして相手も温かい気持ちになれる。この経験が私にそう感じさせてくれた。

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しかし、私たちはどのくらいの頻度で「文章を書く」という行為をしているのか。そう考えた時、大人になるにつれて、「文章を書く」という機会が減っている気がした。

自分自身に置き換えて考えると、小学生の時と比べて、友達に手紙を書く機会もほとんどないし、作文を書くこともない。これはみなが共感できることだと思う。ということは、大人になるにつれて、言葉を紡いだり、気持ちを伝える行為が少なくなってしまうということになる。これは非常に悲しい事実だ。

現在、小学校でもタブレット学習が普及し、多くの子供たちの、自分の手を使って紙に文字を書く時間が減っている。手で紙に書くという行為が段々なくなっていくこと自体も、「文章を書く」という機会が減ることに繋がっているのではないかと、このエッセイを書いていく中で私は考えた。

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最後に、様々なものが電子化される今日、私たちは「文章を書く」という行為の重要性を再確認すべきだ。自分の手を使って、自分の思いを言葉にして、「文章を書く」。たったこれだけのことで、自分も相手も幸せになるのだ。

最近、長らく「文章を書く」ことをしていないと思う人は、まずは日記として、昨日のこと、今日のことを文字に書き起こすことをしてはどうだろうか。
「文章を書く」ことを通して、思いを伝え、言葉を紡いでいくことを多くの人に続けていってほしい。そして私も「文章を書く」ことを続けていこうと思う。