私は文章を書くのが好きだ。だから今もこうして文章を書いている。書くというか打つというか、細かいことは気にしない。

なぜ文章を書くのが好きなのだろう。好きにも様々あるのだが、私における文章に対する好きというのは安定した好き、なのだ。もう少しわかりやすく言うと、例えば好きな人と付き合ったばかりの、猛烈に好きな期間、とは真逆のタイプだ。
好きな食べ物とかに使う時の好きに近い。好きな食べ物ってそう簡単には変わらない、と思う。気づいたらそこにある、そんな感じだ。ハマる食べ物は時期によって変わる。でも好きな食べ物は変わらない、そういう好きである。

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好きだと気づいたのは、いつだったかよく覚えていない。学生の頃だったか。小学生の時から気づいたら文章を書いていた。
その時であれば作文だ。文章を書きたくて仕方がない、そこまでではないけれど、書き終えてふと振り返るとなんだか好きだなあという気持ちだった。
安定した好き、それが私の気持ちである。文章を書くということは私にとって、作業の繰り返しのような感じがある。地味な作業が好きなのだ。

他の人が文章を書く時にどのような段階を踏むのか分からないが、私が文章を書く時は、少し書いて手が止まって考えて、というのを繰り返している。今もそうだ。手が止まらずにまとまった量の文章を書ききれるということはまずない。
頭の中で考えたことをそのまま文章には出来ないので、文章化するにはどうすればいいのかを考えているからだ。後は単純に、この後どんな文章を書こうかな、といったことも勿論考えている。

それを繰り返して、一旦最後まで文章を書き終える。そこで終わりではない。もしかしたら、文章を書く上での真のスタートはこの段階なのではないかとすら思う。

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自分の書いた文章を読み返す。これである。誤字脱字を探すというのもあるけれど、それは最重要ではない。違和感のある部分や気になる部分を変えて、更に文章を良くしていく。
書いた当時はそれが一番しっくりきていたはずなのに、読み返すとそうでないことが多々あるから不思議だ。スムーズでないというか、引っかかりを感じることがある。そういう箇所を減らしていく作業だ。

同じ意味でもどんな単語を選ぶかで、文章を読んだ時の印象も異なる。また、語順を変えたり、文章の順番を変えることもある。今の自分が一番良いと思える文章にするために、この作業をする。
ここまでやったら、おしまいだ。何度か読み返して自分で納得したら、そこで文章は完成する。

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納得と言ったが、本当の意味での納得は、読み続ける限りずっと出てくるから永遠に出来ないのかもしれない。終わりのない旅路だ。

言語化してみると、文章を書くことは手間がかかる。書いている時にそう思うことはないが、よく考えるとそうだなと今更気づく。
でも、私にとってはその手間すらも愛おしい。すぐには完成しない、少しずつ良いものにしていくという段階が、やりがいがあって楽しいのだ。やりがいというより、書き甲斐とでも言えばいいだろうか。

こういった理由で、私は文章を書く。好きだから書く。ただそれだけだが、私の文章を読んでどこかの誰かが何かを感じたり、考えたりすることのきっかけになれば更に嬉しい。更に欲を言えば、何か行動を起こしたり背中を押すきっかけになれば尚嬉しい。
私の文章が誰かにとって意味のあるものになれば、と願いながら今日も私は文章を書く。