私は新入社員の顔をちゃんと知らない。
新型コロナウイルスの感染拡大により、マスクをつけて人前に出ることが当たり前になった今、私はマスクで覆われた彼ら・彼女らの顔面下半分を見たことがない。それは、逆もまた然り。

フロアが同じでよく社内ですれ違い、挨拶や時には会話もするが、部署が違う彼ら・彼女らとイマイチお近づきになれていない証拠だと思う。
ご飯を一緒に食べたことがない。
盃を酌み交わしたことも、ない。
まあコロナのご時世にそんな飲み会を大々的に開催もできぬのだから、仕方ないのかもしれないが。

飲み物を口に運ぶ時など、ふとしたタイミングで一瞬、マスクの下を見ることができる時もある。それもやはり、親しければ親しいほどその機会が訪れる。素顔を知っている、あるいは知られていることは親しさの1つの指標のような気がする。
だから、ついこの間まで私の素顔を多くの人に知っていてほしいと思っていたのだが、最近の私を思うとそれは都合が悪い。

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最近の私はやる気が無い。
世界を褐色フィルター越しで見ているかのような毎日だ。長年愛用しているハードコンタクトが遂に黄ばんできたかと、念のため確認をしたが、相棒のボディは今日も曇りがなく、澄んでいる。ポケモンなら鳴き声は「ちゅるん」。

ちなみに、こやつは私の曇った目に入れても「ちゅるん」と鳴くので、幾分か私の目にも透明感が生まれる。憎むに憎みきれないやつだ。

あの人の顔も、景色も、何もかもを、視力が悪い私はおまえを通して見ていたはずなのに、何故私の瞳より澄みきっているのか。
だって、おまえ越しでなければ、あの人との思い出はこんなにも鮮明に残らなかったんだよ……と話しかけても、寂しさが増すばかりだ。

あの日々が鮮明なあまり、あの人がいない今日を余計、褐色に感じるのか。そんな日が続いて、鏡に映る私の素顔はとてもつまらなさそう。
すっぴんで仕事に行く日も多くなった私のマスクの下なんて、見られたらたまったものではない。

「目は口ほどに物を言う」というが、私の場合は相棒のおかげで少し澄んでいる目より、口紅を塗られず血色を失っている唇のほうが、今の私を物語っている。その唇から出る言葉は何も真実を捉えていないが……。
やはり、マスクの下の素顔は隠さねば。

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では、私のマスクの下の素顔を知っている人達はどうなるのだろうか。
例えば家族。
この頃の私の下がりっぱなしの口角と血色を失った唇に、心配などしていないだろうか。
ご飯はもりもりと食べてこそいるが(私はどんな時も食欲だけはある人間なのである)、何かあったのかと聞くに聞けないかもしれない。
私の素顔を知るくらい親しい関係の人は、親しい分、私の変化にも気付きやすいはずである。

私の相棒は目に微細なゴミが入っただけで、大暴れをするため、人より繊細な私の目は充血し大粒の涙をぼろぼろと流すことになる。故に、元々あまりアイメイクをしない。だから、マスクで隠れようとも気分に合わせてリップの色や質感を変えるのが私のメイクだった。

遂にズボラになり始めたか…と思っている説も濃厚だが、自分でも苦笑いをしたくなるくらいの口角の下がり様なので、気づいているだろう。せめて家族は。いや、流石に気づいていて欲しい。

親しい人達に、心配だけはかけたくない。できれば私がまとめて幸せにしてあげたいくらいなのに。
やっぱりマスクで隠れようとも、気が向かなくとも、毎朝のコンタクト装着とセットで唇を華やかに色付ける習慣をつけよう。

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私の世界は今日もまだ褐色で、かつて私の鮮やかな世界を牛耳っていた彼は、今日も遠い街でたぶん元気に生きている。想いどころか、手も目も届かない遠いところで、彼はあの子の王子様になる。そして、いつかは一家の主人になる。

だけど、私にもまだ、私のこの褐色の世界に想いも手も目も届く人達がいるのだ。
ちゃんと残ってるんだよ、大切にしないといけない人が。
彼は私を大切にしなかったけれど、私も彼を本当に大切にはできなかったように思う。
どうか、お元気で。お互い、それぞれの親しい人を大切にしよう。
正月気分も抜けて、新しい年を本格的に生きていけそうな今日この頃。あと数ヶ月もすれば、また新しい社員が入社する。