素顔ってなんだろう。
化粧をしていないすっぴんと思い浮かぶかもしれない。
ありのままの自分だと思うかもしれない。
素顔って自分しか知らない自分だと私は思う。
家族や友達、彼氏、職場など接する環境下で素の自分は変わっていくのではないだろうか。
ちょっと甘えた自分・口が悪くなる自分・ずっと笑っている自分・真面目な話をする自分。
全部、素顔。
だけど、たまにこんな自分は違うとモヤモヤすることがある。
具体的な何かを言えない。
最終的に行き着くのは「こんな自分は自分ではない!」と叫びたくなる感情が湧き出てくる。
◎ ◎
ここ最近、「自分らしくいよう」などと考える機会が増えてきている。
「自分らしい」というのは素顔だと思っている。
自分らしさって深堀りをしないと理解できていないと思っている。
仕事も含めて人間関係で自分の考えなどは日々変わってきている。
今回のエッセイテーマである「素顔の私」は自問自答を繰り返しながら文章を書いている。
素な自分ってなんなんだろう?
自分のことなのにわからなくなることがある。
でも、一緒にいる人や空間で「本当は●●」と思う時があることに気づいた。
本当はこうしたい
本当はこう言いたい
本当はもっと自由にいたい
本当は怒りたい
本当はわがままになりたい
書き出したらキリがない。
言わなくても行動しなくても自分らしく過ごしているのは変わりはないが、そんな自分がいる。
本心で付き合ってもどうしても建前でぐっと抑えてしまいがちである。
本当はもっとラクにいたいのにと思っても、「じゃあどうしたいの?」と思っても私はわからなくなる。
「本当は」という深層心理が眠っているのに引き出し切れていない。それが私である。
◎ ◎
リアルな人間関係から離れたいと思ったら、今の時代はネット・SNSですぐに交流を図ることができる。自分の顔も名前も出さなくても仲良くなれる。
「私」という素顔を出さなくても、自由に投稿や好きなコミュニティーで話すことができるのは楽しいと思うようになった。
かがみよかがみでエッセイを書き続けて1年ほど経っているが、ここで書き続ける文章は素顔な私の感情や思いをぶつけられる大切な場所である。
ここまで書いていて、はっと気づいた。
素顔を隠すことは時に必要なのではないか。
隠すことで、自分がどんな自分でいたいのか気づくきっかけになるのではないだろうか。
今まで書いたエッセイや素性を明かしてないSNSのアカウントを見返しても、自分を表現できるきっかけが増えてきたと実感している。
自分がしたいことができる場所に選択肢がいくつかあることで、本当の自分を曝け出して素の自分を探し出せるのではないだろうか。
◎ ◎
私は自分のことなのに自分で自分を苦しめて無理させてしまうことがある。
エッセイを書いていて改めて気づいたことである。
今まで書いたものを読み返すと自分がやりたいこと・したいこと・思っていることが強すぎて、そう思うことは今も変わりはないが、自分で自分を追い詰めてしまうのも楽しませるのも全部自分だ。
でもふとした時に、なんとも言えない感情を持ち、「あ〜〜」と声を出す自分もいる。
何も考えずにいる時が素の私かもしれない。
人から言われて嬉しくなることも悲しくなることも、本当は違うのにと思うことだってある。
言われることで自分はこんなやつではないのにと思うことが、素になることなのかもしれない。
素顔の自分はまだまだわかりきっていないけど、自分らしくいられる場所を探すことで自分のことを理解できるのではないかと思う。