気づけば、もうすぐ社会人4年目になる。20代も折り返し、最近周りでは結婚・妊娠する人や転職する人など、何かしらライフステージに変化が訪れる人が増えた。あるいは変化がなくても、仕事や趣味に精を出し充実した生活を送っている人も多い。対して自分はどうだろうか。特に打ち込むような趣味もなければ、仕事にやりがいを感じることもなく、生計を立てるために最低限の責任感を持って日々淡々と働いている。

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話の通じない上司など少々頭を悩ます要素はありつつも、出社頻度は個人の裁量に任されており、決して多くもないが同世代の平均以上は稼げるため、転職を考えるほどの不満もない。休日はゴルフやスキーなどのアウトドアスポーツや、ゲーム・漫画にハマることもないけれど、時々友人や家族とお出かけして少し贅沢をする、そんな何でもない生活日常がちょうど良いと思っていた。

そんな典型的な現状維持型人間の私に、果たしてずっとこのままで良いのだろうかと気づかされる出来事があった。会社でキャリア開発の研修があり、今後のキャリアプランを考えていくうえで、これまでの人生における分岐点の選択を振り返ってみようというワークがあった。思い返せば、大学受験やサークル、就職活動などにおいて、自分が何をしたいかという基準ではなく、“何を選べば無難か”という基準で選んできたように思う。サークルも本当はハモネプに憧れてアカペラサークルに入りたかったのに、就活でのガクチカのウケを考えて国際系サークルを選んだ。

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それなりに真面目に活動して大会でも成績を残し、案の定就活で大変役に立ったので後悔はしていないが、アカペラをやっていたらどんな青春があったのだろうかとふと考えることがある。無難で安牌な道は、心地は良いけれどもいつもどこか物足りなさがあった。いくつになっても生き生きと輝いている人はみな、様々な制約や生きづらさを抱えながらも日々楽しく生きている。そういう人たちは、私のように打算だけで選択するのではなく、自分の気持ちを大切にしているのだと思う。私ももう少し自分の気持ちに素直になって、“楽しい”“やってみたい”という感情に従ってみるのもいいのではないか、と思うようになった。

しかし、だからといって今ある職や地位を捨てて、いきなりやりたいこと・なりたい自分を探しに行こう!というわけにもいかない。それに、これまで無難な道を選び続けたからこそ、盤石な基盤を築けている今がある。真の野心家や冒険家からは生ぬるいと批判されるかもしれないが、無理に環境を変えなくとも、今の仕事や日々様々な制約があるなかでも自分を少しずつ輝かせることができるのではないかと思うのだ。なぜなら「輝く=成功する」ではなく、「輝く=自分がよりご機嫌で楽しく生きられる」ことだと思うから。

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最近私は文章を書いて発信するという取り組みを始めた。元から文章を書くのが好きで、大学の国際系サークルではスピーチ部門に所属し、原稿を書いて大会に出場していた。自分の発信で世界を変えようなんていう大それた野望は全くなく、自分が日々感じている生きづらさやモヤっとする出来事について、聴衆の共感を得られることが嬉しかった。しかし、昔からかなりの負けず嫌いでもあるため、大会に出場するからにはしっかり爪痕を残したいと考えていた。それは今でも変わっておらず、最初は発信することを楽しめれば良いが、ゆくゆくは多くの人の目に留まって記憶に残るような作品を創りたいと思っている。

しかし、結果に拘りすぎると楽しさよりも義務感が大きくなり、結果的に負担になってしまうため、“やっていて楽しいかどうか”を大切に細々と書き続けていきたいと思う。
5年後、10年後自分がどうなっているかなんてわからないし、どうなっていたいかも正直よくわからない。でも、少なくとも今楽しいですか?と聞かれて、楽しいですと淀みなく答えられるような生き方をしていたいと思う。きっとこれからもなんだかんだ安全な道を選び続けるのだと思うけれど、某CMのごとく「あんた、そこに“楽しさ”はあるんか?」と問うことを忘れずに生きたい。