「転んだあとで〈本当〉の人生が始まる」
一語一句正確に覚えているわけではないが、この種の言葉には何度か聞き覚えがある。

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挫折や困難を前にひれ伏しながら知らなかった感情に出会い、時の流れや周囲の協力を借りて立ち上がり方を学び、次に備える。私たちはその一連の流れを経て、甘いだけではない人生の多様なスパイスを学び、ある程度の経験値をもって自身の歩みを進めていく。転んだあとで〈本当〉の人生が始まる、とはまあそんな意味だろう。

だとしたら、私の〈本当〉の人生はいつ頃始まったのだろう。私は現在22歳だが、19歳前後にはすでに〈本当〉の人生を始めたつもりでいた。

というのも、中学・高校時代を完璧主義をこじらせたまま不器用に過ごし、大学生活を通してその辛かった日々にピリオドを打ったからである。

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小学生時代を優等生として過ごした私は、中学にあがって以降、徐々に自信をなくしていった。頭のいい子、かわいい子、先生に好かれる子、その誰にもなれなかったから。どんなジャンルでも上には上がいるというのは、私のプライドを酷く傷つけた。自分の平凡さを受け入れられなかった私は、現実から目をそらすように塾も学校もさぼるようになった。

その日々は、その不貞腐れた心は、高校入学という巨大な転機をもってしても変えることができなかった。新学期が始まる度にギアを入れ直してみても、どうしても途中でボロが出てしまった。

「どうせできないのなら、『できなかった』という結果が出る前に潔く諦めよう」。こじらせた完璧主義者のモットーは悪い癖になり、気付けば遅刻、欠席、課題未提出の常習犯になっていた。

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それでも、そんな私が立ち上がるきっかけがあった。「韓国」だ。大好きな韓国に関することなら何でも頑張れる気がしていたし、実際そうだった。高校をギリギリのところで卒業し、数打ちゃ当たる精神でなんとか大学に進学した私は、韓国留学を叶えるため、もう一度自分の底力を見せてやろうという気になった。

結果は悪くなかった。AとA+が並んだ成績通知書を見て、やっぱりやればできるのだと思った。コロナ禍で交換留学が中止になったため、以後その成績が役立つことはなかったが、それでも自信を取り戻すのには充分だった。その熱量は、両親の支援のもとで実現した私費留学でも持続し、留学先でも奨学生として選ばれるぐらいには好成績だった。

私の長い挫折生活がついに幕を閉じようとしている。そんな気がした。もう私の〈本当〉の人生が始まっているのだ、とも。

でもそれは幸せな勘違いだった。留学から帰った私に〈本当〉の人生は重くのしかかった。

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ある日、電車に乗っていると突然めまいがし、動悸が止まらなくなったのだ。頭は真っ白になり、冷や汗だの何だの全身の穴から水が出るような感覚に陥った。立ち方も呼吸の仕方も曖昧だった。その場では何とか持ち堪えたが、それ以降、恐怖は常に私の後をついてまわった。パニック症候群だった。

私は当時21歳になったばかりだったが、今思えばこの時が〈本当〉の人生の始まりだった気がする。

かつての健康体だった自分はもういない。何も知らなかった頃の自分にはもう戻れない。いつでもどこでもパニックになりうる自分を認めながら生きていかなければならない。これが完璧主義者という皮の下に隠れた本当の自分だった。敏感で、大真面目で、脆い私。

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今はまだ転んでいる状態だろうか。それでも薬の力を借りれば自由に出歩けるのだから、立ち上がり始めている状態だろうか。

もしかしたら、これ以上の困難がまだ見ぬ未来で私を待っているかもしれない。そんなことは生きてみなければ分からない。けれど今、なんとなく始まった気がする私の〈本当〉の人生を、深呼吸しながら、恐る恐る歩んでいく。いつかこの人生の始まりを笑って語る日を心から待ち望んで。