私は一人暮らしを始めるまで、台所にあまり立つような人間ではなかった。
大学を卒業して一人で暮らし始めてから、自炊のために必然的に台所に立つようになる。
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料理経験がほとんどない私にとっては、何なら作れるのかすらわからない。
ネットで献立を検索してみても、出てくるのは何だか難しそうなものばかり。
材料を買うにしても、何がいいのかわからず、スーパーで立ち尽くしていた。
初めてのことばかりで、やはり料理は私には難易度の高いものだと考えさせられたが、それでも下手ながらに作った料理をせっかくならと、Twitterに毎日上げていた。
そのアカウントの界隈では、フォロワーに主婦の方が多く、私が作った料理の写真を見ては「えらい!」と毎回褒めてくれるのだ。
なんだかそれが嬉しくて、作っては上げてをしばらく繰り返し、気が付けば少しずつ成長している自分がいた。
「料理は慣れ」なのだと知ったが、その後は次第に仕事も忙しくなり、料理からは遠ざかっていた。それ以外にも、なにより一番の理由になったのは、「作った料理を食べるのが、自分しかいない」という事実に悲しくなってしまったからである。
せっかく作っても、当然だが誰も食べてはくれない。それなら、買ってしまったほうがいいのでは?と思ったのだ。
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それから料理は全くしなくなり、いつの間にか仕事も辞めて実家に帰ったので、一人暮らし生活も終わった。そうなると、料理をする機会がなくなってしまった。
実家では母が毎日作ってくれる料理をただほおばるだけで、私の料理の腕はまた振り出しに戻ったのである。
そんな生活が始まって半年ほど経った頃、新しく彼氏ができた。
付き合ってしばらくたったころ、その彼と一緒にピクニックに行くことになり、「じゃあその時、私がお弁当作るよ!」と思わず言ってしまった自分がいた。
彼は喜んでいたが、私は一人暮らしを辞めてから自炊をしていないし、ましてやお弁当なんて作ったことはない。言ってしまったことをやや後悔しながらも、ネットや母の助言を受けながら、準備を始めた。
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当日の朝は早起きだった。母と一緒に台所に立ち、お弁当の中身を作り上げていく。
一人暮らしをしていた時、得意だったのは卵焼きだ。あの時は自分しか食べなかったため、失敗しても大丈夫という感覚で適当に作っていたら意外と上手くできていた。
しかし、彼が食べるのだと思うと、緊張して変に力が入ってしまい、上手くいかない。そうやって何とか作り上げた卵焼きは、少しいびつだった。
唐揚げもうまく揚げられない。少し焦げがありつつも、比較的きれいに揚がったものだけをお弁当箱に詰めた。
他にもいろいろ作ったが、最後にお弁当箱に詰める作業でさえ、私のセンスのなさが光り、母が詰め方のコツを教えてくれた。
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こうしてやっとの思いで作り上げたお弁当を持って、一緒にピクニックに行ったのだ。
お弁当箱を開いた時の彼の反応は、嬉しいものだった。
そして一つずつ食べるたびに、いびつな卵焼きも、少し焦げ気味の唐揚げも全部「美味しい、美味しい」と言ってくれて、気がづくと完食していた。
そんな彼の反応は、純粋に嬉しかった。
誰かのために料理を作ること、あまり上手とも言えない料理を「美味しい」と食べてくれることも全部、私にとっては新鮮な感覚だった。
自分の料理を誰かが食べてくれることは、かなり嬉しいのだと知った。
「今度は上手につくるから」と約束した手前、料理の腕を上げなければならない。
まだ上達しているとは言えないが、誰かの為を思うと、苦手なことでもなんだか頑張れそうな気がする。