「当たり前のことができないのに、そんな夢を語るなんて……。まずはみんなと同じように、当たり前のことが普通にできるようになってから言いなさい」

義務教育の間、三者面談のたびに何度も言われていた。

拝啓、この言葉を投げつけた先生方へ。

いかがお過ごしでしょうか?私は、当たり前のことができないまま22歳になりました。これからもきっと、先生方のおっしゃっていた当たり前のことはできそうにありません。

それでも、私は人の役に立てる仕事を任されています。仕事の傍ら、文章で表現するライターの活動もしています。私は夢をかなえましたし、人や社会の役に立てる人になりました。昨今、多様性が求められ、コンプライアンスやハラスメント行為に厳しい世の中ですが、先生方の益々のご活躍をお祈り申し上げます。

◎          ◎

今みたいに時折、幼くて、無力で、言いたいことを押し殺していたあの頃の私が暴れまわり、毒を吐くことがある。22歳になって気持ちに折り合いがつけられたと思っていても、暴れだす時がある。

私は無力なままじゃない。言いたいことだって言えるようになった。それでも、絶対に当時のことを許せないと思う幼い私がいる。

それと同時に、この経験から見返そうと思い頑張れたことを感謝している今の私もいる。相反する2人の私を、心の中で飼っている。

幼い私は、今回のエピソードに登場した先生方への不満を漏らすだけではとどまらない。当時の親の対応や、友人関係にも口を出す。急に現れては、両手に怒りや憎しみを握りしめて暴れだす。「あの時は〇〇って言われた」「絶対に許せない」と大きな声で叫んでまわる。

そして、気が済むまで暴れると、満足げに心の隅っこに帰っていく。その後、散らかされた心の中の片付けをしているのが、今の私の役目というわけだ。

◎          ◎

相反する2人だが、私の心の中で2人が共存できているのには理由がある。表面的には、真逆の性格のように見えるこの2人だが、根本は同じ気持ちを抱えている。それは、「自分を愛したい」という気持ちだ。

幼い私は、不安定な自分を愛した状態を保つためにいつも戦っている。他人からの否定や批判を一緒くたに愛を揺るがす攻撃とみなし、サイレンを鳴らす。そして、暴れまわって抵抗している。外敵から身を守ることで自分を愛している。

一方、今の私は、自分のことを愛せているからこそ他人からの否定や批判も気にしていない。参考になりそうな意見だけつまみ食いして、悪意のあるものはスルーする。気にしないことで愛する自分の心を守っているように思う。2人とも、アプローチの仕方が違うだけで根本は一緒だと感じている。

◎          ◎

幼い私を切り捨ててしまうことだって、きっとできる。自己中心的で、危なっかしくて、いつも振り回してくる幼い私。そんな幼さは捨てたほうがいいと多くの大人たちは言う。「大人になりましょうよ」とみんなが言う。

それでも、幼い私を切り捨てたりなんかしない。見捨てたりなんかしない。今の私だけは、幼い私を傷つけない存在でいてあげたい。幼い私も愛してあげられる私でいたい。そう思っているから。

切り捨てたら簡単に大人になれるのかもしれない。切り捨ててしまうことが大人への近道だってわかっている。だからこそ、切り捨てずに大人になるということは険しい道のりだと感じている。その険しい道の先には大人というゴールが待っていないかもしれない。それでも、私は共存していく道を選ぶ。

幼い私と一緒に、過去から未来へと歩いていく。過去にとらわれながらも今を生きていく。幼い私が満足するまで付き合うつもりだ。今の私も、幼い私も、2人とも幸せになれる道があると信じて、今日も私は自分の選んだ道を歩いていく。