以前、ここ「かがみよかがみ」に投稿したエッセイの中で、こんなことを書いた。
“書くことで、生きていきたい。いつか自分が書いたもので、母をあっと驚かせたい。”
“いつか、本として形にできたらなお最高だ。読書好きな母がそれを手に取り、ページをめくる日が訪れたら本当の意味で私は救われるのかもしれない。”
◎ ◎
サイト上で公開されたのは、冬の寒さが本格化してきた去年の12月中旬。
自分が書いたものが、こうして媒体を介して広い世界に放たれるのは、いつだってうれしい。けれども、真冬の入口に立っていた当時の私の胸中は、複雑だった。
公開されたばかりのエッセイが表示されている目の前のPC画面と、煌々と照らされたままの手元のスマホを交互に見やる。そのときスマホで開いていたのは、LINEのトークルーム。相手は妹だった。
妹は、私が家を出て行った4年半前からずっと、母とのふたり暮らしを変わらず続けていた。
そして、もしかしたら近いうちに“その日”は来てしまうんじゃないか、と悪い想像をしてしまうようなメッセージが、この頃妹から連日送られてきていた。
その推測は、間もなく現実のものとなってしまった。
真冬の入口から、まだほんの少ししか時は進んでいなかった。母のことを想って書いたエッセイが公開されてから約2週間後、母はこの世界からいなくなった。
私が書いたものを、母が読む日はもう永遠に来ない。
私が密かに抱いていた夢は、もう二度と叶わない。
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母は元々、身体があまり強くない人だった。
幼い頃の記憶なのでどこかぼんやりしているものの、一度酷く血を吐いてしまったこともあった。小さなプラスチックのたらいの前で何度も咳き込む母の姿や、たらいの中がみるみるうちに赤く染まっていく様子だけは、はっきりと覚えている。
肺が弱いらしいこと、母の場合は吐血ではなく喀血(かっけつ)であることを、そのとき初めて知った。
母の体調のことは、家を出た後もずっと気がかりだった。
体力が日を追うごとに衰えていること。
障害者手帳を取得したこと。
自力で歩くことも、排泄することもできないこと。
寝たきりになってしまったこと。
妹から毎日のように飛んでくるメッセージに、理解が追いつかないこともしばしばだった。
私の記憶の中の母は、家を出て行った4年半前で止まっている。それ以来、母とは一切顔を合わせていなかったからだ。私の精神的な不安定さが原因で、母とは長年に渡ってぎくしゃくとした関係が続いていた。
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危篤の連絡を妹から受け、急いで帰省した年の瀬が、4年半ぶりの母との再会だった。
一晩、久しぶりに母と共に過ごした。そして翌朝、母は静かに息を引き取った。
火葬場の稼働状況の都合により、すぐに葬儀をすることができなかった。
「年末年始は亡くなる人が多くてね」と、葬儀屋のスタッフの方がどこか寂しげに話していた。
母の遺体は、数日間葬儀場の安置室に置かれることになった。
私は一旦地元を離れ、自宅に帰った。ただ、地面に足がついている感覚が持てなかった。身体も心も、どこかぼんやりと浮遊している。電車を乗り継ぎ、駅から家まで歩いて帰って来れたことが不思議だった。
帰宅直後は、身体に力が入らずにそのままベッドに倒れた。白くてひんやりとしたシーツが、顔周りで徐々に湿っていく。身近な人を喪うってこういうことなんだね、と、母が亡くなってから初めて、私は泣いた。
その後も、ふいに母のことを思い出し、唐突に泣き出してしまうことが多々あった。火葬日までの間、暗く冷たい安置室でひとり眠っている母のことを思うと、涙が止まらなくなった。
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確かに悲しかった。けれど、ちゃんと悲しめている自分に安堵もした。
母との間で燻り続けていた、長年の確執。母のことを嫌いだと思ったときもあった。憎いと思ったときも、許せないと思ったときもあった。
それでも、最期に母の顔を見たら、今までにあったこと全てがふっとどこかに消えてしまったような気がした。
子どもの頃からずっとずっと、苦しかったはずなのに。
母が、私のことをどう思っていたのかは、はっきりとはわからない。
それでも、もうわずかしか残っていない力を振り絞って、亡くなる前夜、母は私に言葉をかけてくれた。それは本当に他愛のないことで、ふいに私は笑ってしまいそうになった。同時に、私は何歳になってもこの人の娘なのだと思った。
どう思われてたかなんて、きっと深く考えなくてもいいのだ。
母と子。ただ、それだけ。
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今私の手元には、元々は母が所持していた数冊の本がある。遺品整理の際に、持ち帰ってきたものだ。いずれも、私がまだ学生だった頃、「面白かったよ」と母が話していた本だった。
私が書いたものを、母が読む日はもう来ない。
けれど、病と闘い続けてきた身体から解放された母は、解放されたからこそ、今もどこかで私のことを見ているような気がする。
幽霊だとか、魂だとか、そういったスピリチュアルなものはあまり信じる方ではないけれど、でも、母は意外と近くにいるのかもしれない。
いや、違う。
私がそういう風に思いたいのだ。
お母さん、私はあなたに昔言われたことを今でも根に持っているよ。
自分でもびっくりするけど、私って意外としぶとい人間みたいなんだよね。
あなたに一蹴された「書くこと」で、私はこれからも生きていってみせるよ。
だからずっと、傍で見ててよね。
絶対、驚かせるから。