自分で言うのもなんだが、私はとんでもなく不器用だ。それは、手先の動きに限った話でなく、対人関係、生き方すべてにおいての話である。
最短距離を効率よくなんてできやしない。

人と接すれば私という人物を理解してもらえるまでに人の3倍くらいはかかるし、そもそも理解してもらえないことがほとんど。大抵の場合は「変わってる人」扱いで周囲から遠巻きにされる。

はじめ仲良くしていた相手も時間が経つにつれ、「唯花ってなんか変だよね」と言い始め、離れていくことが多い。
これが発達障害の特性によるものなのかそもそもの性格が変なのかは私にもよくわからない。

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就職活動をしてみれば、落とされた企業はアルバイトも含めると3桁に届く。
やっと仕事に就けたと思ったらそこで対人関係のトラブル。ストレスを抱えやすく、心の状態が体調に直結する私の体質では長く仕事を続けることは難しく、離職してはまた職探しの繰り返しであった。

「もっと肩の力抜きなよ」と言われて肩の力を抜いてみたときにはたいていとんでもない失敗をして人に迷惑をかけ、「なんでこんな失敗するの?」と怒られる。
周りの人間からは、「もっと要領よくやりなよ」「こうした方が効率がいいよ」なんて苦言やアドバイスももらうのだが、どうにもそれを活かせない。試してみようとはするのだが大抵の場合は失敗に終わる。

他の人が30分で終わらせる作業を2時間以上かけて行い、自分というものを相手に伝えることも下手くそな私は、たしかに不器用で、回り道ばかりで、世間一般から見れば「何をやっているのだろう、この子は」と思われること間違い無しの人間だ。
だが、こんな自分が嫌いか、と言われるとそうでもない。いや、昔はたしかに嫌いだったのだ。

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周りに馬鹿にされ、大人から怒られることばっかりで、己の要領の悪さを何度も恨み、どうしてそんな風にしかなれないのだと自分を責め続けた時期は間違いなくあった。
何度も何度も泣いて、「こんな私いなければよかったんだよ」と、家族に当たり友達に当たり、自己嫌悪に陥ることを繰り返したりもした。

でもどこか根底のところで、心の奥底から、そんな回り道だらけの自分を嫌いになれない私がいた。

だって、きっと最短距離では気がつけなかった。支えてくれる家族や友達の暖かな温もり。私のために泣いて、喜んでくれる誰かの想い。踏まれても踏まれても何度も顔を上げ努力する尊敬できる人の存在。最短距離を突っ走っていたら私はきっと、そういう存在に気がつけなかっただろうと思う。

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最短距離を全力疾走することも悪いことではない。むしろ周りにかける迷惑や、負担を考えると最短距離を効率よく走れる人間のほうが社会には適していて、そうなれるように努力する人のほうが多いのだろう。

だけど、私は私のペースでのんびりと、時には回り道になる道を散歩しながら、上手く歩けなくて転んで泣いた矢先に、その視線の先に道端に咲く小さな花を見つけては喜んで笑ってる、そんな自分のほうが向いているように思うのだ。
そして、今の私の周りにはそんなのんびり屋で回り道ばかりでしか進めない私を受け入れてくれる人がいる。

「唯花はのんびり屋さんだねえ」なんて言いながら私の歩みに合わせて隣を歩いてくれる人がいる。その中で、私の良さを見つけて喜んでくれたり、褒めてくれる人もいる。
その事実だけで「ああ、私は幸せ者だなあ」なんて思える。

回り道の先にはどんな世界が待っているのかまだわからないが、私はこの不器用な回り道でしか生きられない。そしてそんな回り道を愛おしく思い、まだ見ぬ世界にわくわくと楽しみな気持ちを持ちながら、またのんびりと歩みを進めていく。これが、私の生き方だ。