馬鹿で美人な女と、頭のいいブスだったらどっちがいい。
こんな話題を聞いたことがある人は、私と同年代かもしれない。どこからともなく聞いたこの言葉は、時が流れるにつれて聞かなくなっていったが、いつまでも私の心の中にあった。

美人はよい。見ていて飽きることもないと私は思う。
だからと言って、人の容姿について言及するのはポジティブな意味でもネガティブな意味でもやめておいたほうがいいと思っている。その人が自分の容姿についてどう受け取っているのか、もしくは容姿について形容する言葉をどう捉えるのかわからないからだ。だから、私はなるべく容姿については言及しないようにしている。なるべく。つい、思わず出てしまうことはあるのだけれど。そして自分の容姿についても言及しないようにしている。でないと、出てくるのはネガティブな言葉ばかりでとてもつまらないから。

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だから今回は、「頭のいい」と「馬鹿な」について話したい。
今一度確認をしておきたいのだが、私はもう30歳を目前としたアラサーだ。そろそろ世の中のことについて知っておかなければならない年齢である。それは理解している。学校では教えてくれなかったマナーについても、必死になって学び結婚式や葬儀に参加している。

そんな私は、あえて「馬鹿な」フリをすることが度々ある。言い方がよくないかもしれないが、あえて「何も知らない」という前提で話すときがあるのだ。それは特に、目上の方がいらっしゃるときや、何かを話したくて仕方がない人がいるとき。少しだけ専門性が問われることについては特に「私、わかりません」という顔をする。首をかしげるのもいいだろう。
そうすると、気持ちがいいくらい人は色んなことを語ってくれる。そこで「あなたの話のおかげで少しだけわかった」ふりをすると、あちらもどんどん話してくれて、話が盛り上がり、そしていざというときの繋がりができる。その繋がりは時として自分の選択を広げるし、いざというときに頼りになる。それに、単純に知らないフリをして聴き続けていると、本当に知らないことを教えてくれて、これもまた面白くなり私の知識欲が刺激される。要は、双方にとって悪いことはないのだ。

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だから、このときとばかりは自分は俳優だと信じて「馬鹿な」フリをする。

現代で、男女の差について話すのはあまりに愚かだと思うが、私はたまに「頭の悪い女」のフリをする。若いときはもっとそうしていた。正直にいうととても便利だったから。今の時代、自らの意思で立ち歩いていく女性に憧れはある。自立した女性はいつだって眩しい。いつか私だってそんな人間になりたいと思う。今の現状を自分の力で幸せにできるくらいに自立した女性に。一方で、何も知らないフリをした自分の立ち回りは便利だと思ってしまっている。いつまで通用するかわからないことだが、使えるうちはこの技法を使っていこうとおもう。

私にとって悪い女は、馬鹿なフリをした私。でもそれは今後の私を生きやすくするためにはとても大切な顔なのだ。ねぇ、こんな経験したことある人って、実は私だけじゃないですよね。