大好きな人がいた。
優しい物言いで、ちょっとした面白みがあって、とても柔らかい人。緊張すると手のひらの月丘で髪の毛をツンツンと立てる人。笑うと八重歯が出て、目が無くなる人。大好きだった。たぶん、今でも好きに戻れる。

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出会ったのは雨の日の放課後。彼は2組。私は3組。たまたま居合わせた4組の教室で、目が離せなかった。おそらく彼の方も。私は何度も何度も彼の名前を心の中で繰り返して、彼が教室から出た後で、クラス名簿を確認した。その時の、胸の高鳴りを確かに覚えている。

2,3日して彼の方から連絡が来た。『ごめん!連絡先、教えてもらった!ごめん』。何回謝るのだこの人は、かわいいなと思った。それから、スマホの中でのやり取りは続いた。

もうお互い好きなのが分かっていたはずなのに、幼い私は好き避けばかりしていた。渡り廊下を掃除していると、いつも教室のゴミ出しに彼が来る。毎日来るのは分かっていたが、心の準備が出来ない。友達に突き飛ばされて立った彼の正面で、顔を真っ赤にさせながら、俯いて道を譲ることしかできなかった。ごめんね、恋のキューピット。

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こんな感じで過ごしていると、寒くなった頃に、彼の方に彼女ができた。モデルみたいに背が高くて、ショートカットの彼女。私と真反対だった。ショックで、私は私を好きだと言ってくれる男の子と付き合った。なんて残酷なんだ。

この頃には電話をするようになっていて、恋愛相談を受けていた。男女の友情で恋愛相談だなんて、今思えば馬鹿げてるし、下心のない相談相手なんていないだろうと思うし、実際そうだった。私は結局付き合っていた彼氏を好きになれず別れた。

その後「なんで別れたの」なんて聞くから「君が好きだから」と言うとすごく驚いていた。「僕も初めて君を見た時に好きだと思ったんだ。だからその時付き合っていた彼女とは別れたんだよ。君は僕のこと全然好きじゃないんだと思っていた」。

気持ちが通じ合ったのに、彼の中では私の事は区切りが付いていて、私の時間は止まったまま高校を卒業した。私は何年かに1度思い出しては連絡を取ろうとした。今思えばストーカーみたいで気持ちが悪い。でも嫌な思い出としてでも残ればそれでもいいと思っていた。私のこの複雑な感情と同じくらい、もやもやすればいいと思った。

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出会いから10年後、私の方から連絡を取って会うことになった。やっぱり、大好きな笑い方と話し方、言葉遣いをする。ちょっとしたおちゃめな話をして場を和ませてくれる。変わらずに大好きな彼のままだった。2回目に会ったとき、お酒を飲んだ彼は、大学生のような誘い文句を使った。まぁいいかなと思った私は彼について行った。でも、それきり。私を知ろうと思えば知れたのに知ろうとしなかった。そんな優しさも痛かった。もっと悪い女だったら、私の胸のつっかえは解けていたはずなのに。

それ以来彼の気持ちは確かめていないけれど、彼の中で、「おかしな女がいたな」と思い出に残ればそれでいい。私のことを忘れないでいればいい。このぽっかり空いた胸の穴は、悲しいけれど、悪い女になりきれなかった私への罰。