日常、非日常、仕事。
この3つが自分の中にはあることを言語化してわかった。

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事の発端は、ゴールデンウィークの最終日。外食での一コマ。中華を食べるという約束をとりつけ、これがもうめちゃくちゃ楽しみで仕方なかった。というのも、数日前から家でゴタゴタあり、食事を楽しむということがいかに尊いかを身をもって感じていたところだった。中華料理屋の待ち合いでそんな話をしながら順番待ちをしていたところに、仕事関係の知り合いを見つけてしまったのだ。「よりによって!」という気持ちと、向こうにはバレていないか、これをどこかで話題出されたら…とか、いろいろなことが一気に頭によぎり、途端に食事相手との会話がなくなる。食事相手はそんな私の明らかな異変を察して、予定を変更。順番を待ちをやめ、退店。結局は和食料理屋でそばを食べ、喫茶店でコーヒーを啜って帰ってきたのだった。

次の目的地を探している時の会話のひとつが、上記の、私が日常、非日常、仕事という区分けをしているという話なのだ。自分の中では、家の中が日常、家の外で仕事以外が非日常、それとそれ以外が仕事か。ざっくり分けたらこうなるから、他のところに他のものが入り込むとそれがたまらなく許せないというか、落ち着かなくなる。だから休みの日に知っている人に会うとめちゃくちゃテンション下がるし、挙動不審になるのはその防御姿勢なのかもしれないと、自分の考えを分析し、言語化し伝えたのだった。分かってもらおうなんて傲慢だが、自分的には分かってスッキリした(食事相手曰く、知り合いが入ってきた瞬間に目の色が3段階ぐらい落ちたらしい。とても浮かない顔をしてた模様)。

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食事相手は、非日常、仕事という括りはなく、全部が日常らしい。確かにという感じ。一般的にどうなんだろう。理想のオフが今回のテーマだけども、なにをもってオフなんだろうか。食事相手は、他所で誰に会っても、気にしないし、「どうも」でそれでおしまいだとのこと。あまりにも強い。

そして私にトドメの「仕事のカフが下がってないんじゃない?」と。あまりに芯を食いすぎてた。パワーワードすぎる。仕事のカフが下がっていない、つまりは仕事モードがオフになっていないのではないかというのだ。仕事が侵食しすぎているのは、否定できない。この街にいる限り、仕事関係の知り合いはどんどん増えていくし、そうなれば街で会う確率はそれに比例してあがってくる。これはまずい。こんなんだと、この先近所のスーパーにも出掛けられなくなる。しんどすぎる。誰も私のことなど、見てないのも分かってる。自意識過剰すぎるのも分かってる。でも、嫌なのだ。テンションも圧倒的に下がる。

こういった理由から、気心知れたツレたちとアイドルのおっかけで遠征したり、限りなく知り合いのいない街に行くといった非日常の時間は好きすぎる。馴染みのない街で1人で男だらけのラーメン屋に入ったってもう行かないかもしれないから、堂々としていられる。もちろん地元で食事を楽しむ時間も自分が穏やかにいられるとても大切な非日常だ。どうやったらこの区画分けはなくなるのか、改善されるのか、これは性分だからどうしようもないのかもしれないけど、仕事のカフが下がりきった非日常的な日常のオフなるものを過ごしてみたい。特になにかこれをしたいというわけでもないけど、ただそんな日を過ごしてみたいものである。