バケツをひっくり返したような大雨の日には、苦しい記憶が顔を出す。
その日は両親の結婚30周年を祝う日だった。

私の両親は喧嘩ばかりでお互いの愚痴をたくさん聞かされたけど、家で手料理を食べた記憶はほぼ皆無だったけど、机で勉強できた記憶もないけど、傷つく言葉もたくさん吐かれたけど、その当時、私にとっては大切な両親だった。

二人には子供の私が知らない苦難がたくさんあったと思う。でも楽しい思い出もあったはずだから、妹と前々からお祝いの計画を立てていた。
二人が結婚式を挙げた式場は残っていないけど、その跡地に建った飲食店でコース料理を予約することにした。プレゼントには家族旅行の写真や、両親が笑っている写真をたくさん詰め込んだアルバムを渡すことにした。
当時私には真剣に交際していた人がいて、1か月以上前からその日のことは伝えていた。彼も「よかったね、楽しんできてね」と送り出してくれたはずだった。

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お祝いの当日。その日はバケツをひっくり返したような大雨だった。
両親が式を挙げた日もこんな日だった、と前に話してくれた。

その日は仕事だった彼に「行ってくるね」とLINEを送り、予約した飲食店に向かう。
途中で彼から「熱が出たから会社を早退した」と連絡が入った。元々持病があった彼のことをすごく心配した私に「せっかくのお祝いだから行ってきて」と彼が言ってくれたから、その言葉に甘えることにした。

大雨だったけど美味しいお刺身や肉料理に舌鼓を打ちながら、私たちの生まれる前の話や挙式当日の話を2人は懐かしそうに話してくれた。制作に1ヶ月程かけた手作りのアルバムを渡すと泣いて喜んでくれ、今までも色々なことがあったけどこの日を迎えることができてよかった、と心から思った。

楽しいものの彼の様子が心配で、連絡をとると先ほどと少し様子の違うLINEが届いた。
「いつ帰ってくる?」
「そっか、まだかかりそうなんだね」
「もう帰るね」
かわいい顔文字はついてるけど、胸が苦しくなるような罪悪感を揺さぶるLINEが届く。すぐに帰りたいけど、帰れなかった私はそのやり取りの中で何度も何度も謝った。

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普段はスマホを触らない私が頻繁にそれを見ては不安な表情になっているのを家族はすぐに気付いた。事情を話したけど、両親には「大人で車もあるんだし、帰ったらご両親もいらっしゃるから大丈夫なんじゃない?」と言われた。
確かにこの日は両親のお祝いの日だし、店を出た後は妹の賃貸契約に帯同する予定で、その後も家族で過ごす予定だった。そう返すのも当たり前だ。でも、私の大事な人だから「心配だね」と一言でいいから寄り添ってほしかったな、一緒に解決策を探してほしかったな、と私がわがままなのだけど少し思った。

彼の傍には居られないけど、せめて荷物だけでも届けたくて。
彼の自宅がそこから近かったから、飲食店を出た後すぐに契約が入っていたけど妹がその時間をずらしてくれ、車を走らせてくれた。

大雨の中、曖昧な記憶を頼りに数回伺ったことのある彼の自宅を目指す。
ぐしょぐしょの足元が気になるし寒いけど、早く荷物を届けなきゃ。
スーパーで買った冷えピタやゼリー、彼の好きなエナジードリンクの入った袋を抱えた私は何とか辿り着いたけど、彼の車は無い。玄関を鳴らすと彼のお母さんが出てくれた。
「どうしたの?」と驚いた彼のお母さんに事情を説明し、せめてこれだけでも渡したくて、と袋を渡した。
「びしょ濡れだけど、大丈夫?」と彼のお母さんが声を掛けてくれたけど、「すみません、また来ます」と言ってすぐに後にした。

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ずぶ濡れで妹の車に乗り込み、契約へと向かった。私が初めて一人暮らしをした時の契約時も妹が居てくれてそれが心強かったから帯同したかったのに、不安そうな私を見て「大丈夫だから彼氏さんのところに行ってあげて」言われ、自宅に帰ることになった。ここでも「ごめんね」と何度も謝り、家族と別れた。

彼のお母さんから彼に連絡がいったのだろう。LINEが届いた。
「親に心配かけたくないって知ってたはずなのになんでそんなことするの?」
彼は私の自宅近くにいたようだった。ゼリーもポカリも全部渡してるし、私の家には何もない。
プリン類を買って急いで電車に乗った後、スマホを開くと、買い物中に彼から何通かLINEが届いていたみたいだった。
「なんで返信くれないの?」

プツン、と何かが切れてそこからの記憶はあまりない。
たくさん迷惑をかけてしまった妹に謝り、お祝いを台無しにしたことを両親に謝り、熱があるのに傍に居られないことを彼に謝り、彼のお母さんに心配をかけたことを謝り、本当にこの日はたくさんたくさん謝った。それなのに、謝った分だけ空回りして本当に上手くいかない1日だった。

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両親には、私が真剣に付き合っていた彼のことをただ一緒に心配してほしかった。
今までたくさん二人の喧嘩に振り回されたし、成人式など私の節目は両親に台無しにされたこともあったけど、“祝いたい”という私たちの気持ちを大切にしてほしかった。
彼は、私が家族のことを悩みながらもこの日を大切にしていたことを知っていたから、そんな日に私のことを試すような行動はしてほしくなかった。両親には心配をかけたくないというのに、彼女という存在には迷惑も心配もかけてしまってもいいんだと、私の行動は全部否定されてしまい悲しかった。

いや、でも。きっと私が多くのことを大切な人達に対して求めすぎていたのかもしれないし、わがままな人間だったのかもしれない。
結局は、私の振る舞いが一番良くなかった。
「嫌われたくない」そんな私の無意識がいつの間にか伝わり、両親にも、彼にも、何でも言いなりのいい子の私じゃないと、否定されてしまうような環境を作り上げてしまったのはこの私自身だ。

両親は31周年を迎える前に離婚したし、当時の彼とはお別れをした。
私にとって大切にすることは、相手の気持ちばかり推し量り都合よく、相手のためだけに駒のように動く自分ではだめだったのだ、と痛感した。
あの時の八方塞がりだった自分を慰め、そんな自分から脱却するため、文章として昇華させる。謝ってばかりで周囲も自分も苦しめていた当時の自分にいつかの未来の私が「こんなこともあったよね、でも今の私は変われているし、ちゃんと笑えてるからきっと大丈夫だよ」と、笑って声をかけてあげられるように私は変わりたいと思う。