私にはずっと直したいと思っている口癖がある。
それは「ありがとう」と言うべき場面で出てくる「すみません」の5文字だ。
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小さい頃から気が付くと、感謝の言葉よりも謝罪や謙遜の言葉を口にすることが多かったように思う。大体の人達は相手に迷惑をかけてしまった時や悲しい気持ちにさせてしまった時には「すみません」や「ごめんなさい」という言葉を使って謝罪の気持ちを伝えると思う。それは、私も同じようにこれまでも行ってきた。
だけど、誰かに何かをしてもらった時や何かをいただいた時など、嬉しくて「ありがとう」の言葉を口にしたいはずなのに、口からぽっと飛び出すのは「すみません」の言葉が私の場合はいつも多くなってしまう。
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昔、バイト先である和菓子店で働いていたときのこと。
ちょうど繁忙期だったにもかかわらず働くメンバーの人員が確保できず、本来その日は休みだったけど、一緒に働く先輩のサポートをするために出勤したことがあった。翌日仕事をしていると、昨日一緒に働いた先輩が「もぴちゃん、昨日は本当にありがとう。まーじで助かった!!」と、プチギフトをくれたことがあった。
私はやるべきことをただこなしただけなのに、普段ちょっと怖い。だけど、以前投稿したエッセイ『初バイトの和菓子屋でできた足裏のタコは、私を成長させた「勲章」』でも書いているように、いつも「もぴちゃーん」とかわいがってくれ、私をこのバイト先に誘ってくれたきっかけでもある本当は優しい)先輩からまさかそんなに感謝されると思っていなくて、すごく嬉しかった。
私は心から嬉しくて、「先輩、ありがとうございます!」と思っているはずなのに、口からとっさに出たのは「(気を遣わせてしまって)すみません!」の言葉だった。
その先輩は、「もぴちゃんさ、「すみません」を言うのは違うでしょ。全然迷惑かけてないし、むしろ昨日は本当に仕事テキパキこなしてくれて助かったんだから。本当謝りすぎ」と、私の仕事ぶりを認めてくれながらも言いづらかっただろうことをはっきりと言ってくれた。私は無意識に出てしまったその言葉にとても反省した。確かに先輩の言う通りなのだ。
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もし自分が先輩の立場だったらどうだろうか。
前日に他に出勤できるメンバーがおらず、サポートに入ってくれて仕事をこなしてくれた後輩。本当に助かったから「助かったよ、ありがとう」とお菓子と一緒に感謝を伝えたのに、その後輩からは「気を遣わせてしまってすみません」と逆に謝られてしまうのである。
言われた側の気分はあまりよくない。考えると容易に想像がついた。そんな中で、言いづらいこともはっきりと口にして私に指摘してくれた先輩には今でも感謝している。
だけど、どうして私はこんなに小さい頃から大人になっても「ありがとう」よりも「すみません」を口にすることが多くなってしまったのだろうと考えたことがあった。
ぐるぐると小さい頃からの経験まで遡って考えた結果、心の根底に「嫌われたくない」という気持ちがあるからかもしれないということに気付いた。
両親の喧嘩を小さい頃から頻繁に目にしたからなのかは分からないけど、いつも「いい子」じゃないといけない、と思っていた。「悪い子」だと両親から嫌われてしまう、と思っていた。
両親からも、クラスメイトからも、好きな人からも、大して面識のない人に対してさえも「嫌われたくない」という気持ちはどんどん強くなっていく。
だから、両親や祖父母から「もぴちゃんは、本当に賢くていい子だね」と言われると嬉しくてどこかほっとしていたし、大会で優勝したり、テストで高得点を取ったり、目に見えるような結果を出して何でもできる「いい子」だと思われたい気持ちがいつだって私の頑張る原動力だった。
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そんな「嫌われたくない」という気持ちがじわじわと滲みだし、いつだって「いい子」だと思われるため、そして自分を守るため、「すみません」の言葉を無意識に口から発してしまっていたのかもしれない。
このことに気付いてからは、「すみませんよりもありがとう」をいつも心に留めながら毎日を過ごしている。
そんな私だけど、気を抜いてしまうとつい、「ありがとう」の回数よりも「すみません」の回数がすぐに上回ってしまうから、毎日職場の上司やお客様、友人など多くの人と接する中でいつだって気をつけながら会話をしている。
先輩から指摘してもらってから数年が経ったけど、まだ心に留めておかなければすぐに元に戻ってしまうくらい、私の「すみません」はなかなかにしぶといなぁと辟易してしまうこともある。
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言葉にはとても強い力があると私は思っている。
過去にかけてもらった心が温かくなる言葉や励ましの言葉は大人になった今でも思い出すだけで、その言葉に励まされて「頑張らなくちゃ」と力が湧いてくる。一方で、本当は忘れたいのに忘れられないくらいトラウマになっているナイフのような言葉を相手から吐かれたこともある。きっと、私も無意識にナイフを投げていたのかもしれないと思うとひどく絶望するけど、これからは絶対にそんなことはしたくない。
かける言葉一つで相手のことを幸せな気分にも不快な気分にもすることができるのなら、相手も嬉しくなるような心が温かくてポジティブな言葉をこれからは積極的に使っていきたい。
だって言葉はお金をかけずに贈ることのできる素敵なプレゼントになるのだから。
接する相手、言葉を発した自分、双方が幸せになれるように。子供のころに自分でかけていた「すみません」ばかりを口にして「いい子」だと思われたいという、その呪いを「ありがとう」の力を信じて、解いていきたい。