令和5年5月、私は30歳になった。
それは、私の挑戦の終わりを告げるサインでもあった。
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学生の頃は、学校行事や勉強に向き合うことばかりで、なかなか他のことに挑戦するという余裕がなかった。就職したての頃も、仕事と向き合うことだけで精一杯で、他のことをしようなんて思うことすらなかった。
しかし、仕事を一度退職し、仕事からほんの少し離れ、自分と向き合うようになると、何かに挑戦したい気持ちが湧いた。
そこから私は、好きなことを探し、見つけてみては、応募したりやってみたりと、広く浅くいろんなものに手を出してきた。
絵を描いたり、文章を描いたり、演奏してみたり…それは私の人生を豊かにしてくれた。
その一つがミスコンだった。塾のバイトの後輩が、地元のミスコンに選ばれ、イベントや被写体として活動している姿を見て、私もやってみたいと思うようになった。
学生の頃はカメラを向けられることすら抵抗があり、うまく笑うことができず、カメラを避けることすらあった。でも、後輩の輝いている姿を見ると、抵抗よりも、やってみたいという気持ちが上回った。
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一次審査の書類選考から、二次審査の集団面接や個人面接、ウォーキングやポージングの審査は初めてで、新鮮なことばかりだった。
選ばれてからの活動も、今までにない体験ばかりで、楽しかった。2年の任期はあっという間で、その他のミスコンにもいくつか応募した、二次審査や最終選考で落とされたこともあったが、2箇所でミスとして活動することができ、選んでくださった方や関わってくださった方に感謝の気持ちでいっぱいだった。
でも、ミスコンというものには年齢制限があった。周りも若い子ばかりになり、私はとうとう選考外の30代に突入。結婚をしてしまったので、ミスでもない。もう審査対象にもならなくなってしまったのだ。
やってみたいことを探す中で出会った「かがみよかがみ」のエッセイも、30歳になるため終わりだ。かがみよかがみに出会ってから2年半、1つのテーマも欠けることなく投稿し続けた。仕事が忙しくて、睡眠時間を削った週も、コロナに感染して40度熱が出た週も、彼とうまくいかず泣いて落ち込んでいた週も、エッセイだけは書き続けた。どんなことがあってもエッセイだけは欠かさず書いた。
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大変でも書きたい、伝えたい、発信したいと言う気持ちが勝ったからだ。駆け抜けた2年半だった。その2年半で私は結婚するという大きな変化もあった。かがみよかがみと出会ったから、自分とより深く向き合うことができたし、モヤモヤしていた気持ちを打ち明けることができた。文章を書くことが苦手だったはずなのに、こうして文章を書くことに生きがいさえ感じられるようになっていった。
でも、30歳になったことで、挑戦する権利を失った。正直に言えば、もっともっと続けたかった。イベントに参加して被写体もやりたかったし、かがみよかがみのエッセイだって書き続けたかった。
でも、規則や年齢に逆らうことはできない。
この喪失感をどうしたらいいか。
それはもう、空いてしまった穴を埋めるしかない。
簡単に埋まるものではないとわかっている。でも、終わったからもう終わりだと、自分の進む道を止めたくない。
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終わったことが新たなスタート!
私はこれまで積み上げてきた経験を絶対にどこかで生かしたい。生かせるはずだと信じている。今まで歩んできた30年は、きっと無駄な時間ではなかった。これから先の一歩を踏み出すための糧になっていたはずだ。
だから、本格的に夏に入る前に探すんだ。
新しく挑戦できる何かを。
そして私は、新しい自分を見つける旅に出る。
この夏、私はまた、大きく成長することになるんだ。