小学6年生の夏休み、恋に落ちた。
その相手はテレビの画面の向こうにいる、国民的アイドルの男性。
元から存在を知ってはいたけれど、再放送されているドラマに出ていた彼を見て、本格的に好きになってしまった。

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それからというもの、彼と、彼の所属するグループの活動を追うのに忙しくなった。まだ「推し」なんていう言い方はない時代。この頃の男性アイドルヲタクは、自分のお気に入りのことは「担当」と呼んでいた。今思うとホストのような呼び方である。
彼自身もグループもかなり売れていたから、様々な媒体に引っ張りだこで、出演番組を把握するだけで大変だった。自宅のテレビの録画機能を駆使するようになり、録画した番組の見たい部分だけを残す機能も使えるようになった。
彼の一挙手一投足に一喜一憂した。学校で過ごす日々はひどくつまらなかったけれど、彼らが私の心をいつも彩ってくれていた。
当時作ったヤフーのメールアドレスは、もちろん彼に関係するワードで構成した。利用していたサイトのパスワードも同様だ。もちろん彼の名前+彼の誕生日、みたいなシンプルなものではなく、彼が演じた役名+彼が演じた別の役の誕生日、みたいな、ちょっと捻りを加えたものだが。

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そんな日々から10年以上経った現在。
私も彼も歳をとった。と言っても、さすがアイドルなだけあって、彼の外見にはそれほど変化はない。
私はというと、精神年齢はそこまで成長していないものの、彼への熱意はあの頃ほどにはなくなってしまった。彼が出演する番組も、興味がある内容でなければ、わざわざ録画したりはしていない。

これは私自身の変化でもあり、彼の変化のせいでもあった。外見こそ若さを保ち続けている彼だが、言動はもう、若いアイドルのそれではなくなってしまっている。
若いころの彼の、たまに垣間見える尖りというか、ひねくれた部分というか、逆張りしたがるところが好きだった。ちょっと偏屈な言葉選びをしたり、王道を避けようとするところが。それらに行き着くセンスが、というよりは、そうしようとする精神性そのものが好きだった。

が、彼のそのような部分は、年齢を重ねるごとに薄まっている。今ではもう、ほとんど感じ取れない。仕方のないことだと思う。冷静に考えて、おじさんになってから尖っていても痛いだけだし。そう分かりながらも、少し寂しい気持ちになる。

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加えて、言動がもう、普通におじさんっぽくなってしまっている。最近のバラエティ番組での彼の振る舞いは、非常に安定感がある。見ていて不安になる要素がほとんどない。しかし、この安定感は、彼をアイドルらしさから遠ざけているようにも感じられる。何を言ってくれるんだろう、何をしてくれるんだろう、というハラハラも含んだドキドキ感は、今の彼を見ていても抱かない。
ついでに、最近始めたSNSでの文面も、もう、わざとやっているのか?と思ってしまうほどに、見事なおじさん構文だ。ファンのために頑張ってくれているのは分かる。が、彼の若々しい外見とは似つかわしくない。
どんどん価値観がアップデートされていく社会のなかで、アラフォーの彼の言動におじさんっぽさが漂ってしまうのは、どうしようもないことだと思う。それに、彼自身もそれを望んでいるのかもしれない。おじさんはおじさんらしくありたいのかもしれない。

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……なんて、こんなことを書いておきながら、私が使っているパスワードは今も変わらず彼に関連している。パスワードを設定するとき、私の指はノータイムで彼に関連したワードを打ち込んでしまう。癖として完全に染み付いてしまっているのだ。今の私はアイドルヲタクっぽいキャラでもないから、このことは自分の中だけの秘密だ。いや、パスワードなんだから、そもそも当たり前に秘密なのだけれど。
かつて抱いていた彼への情熱の欠片が、ここにだけ残っている。辛いとき、何も生きがいが見出せないとき、支えてくれたのは彼だった。今はもうあの頃のような熱意を持って応援することは出来ないけれど、きっと私はこの先も、彼に関連した言葉でパスワードを設定してしまうと思う。