私の耳からはよく音が消える。テレビが付きっぱなしでも画面が光っているのを見るまで気づけない。人が私に話しかけていても、その声は私の耳に届いていない。ちゃんと聞こえているときもあるけれど、多分聞こえてないときのほうが多いと思う。生まれてずっと音は聞こえたり聞こえなかったりの世界で生きてきた。だから、ほかの人も音が聞こえたり聞こえなかったりするものだと思っていた。でも、大人になるにつれ、どうやらそうではないと気づき病院に行くことにした。
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まず、耳鼻科にも行った。だが、聴力に異常はないと言われた。精神的な問題かもしれないと言われ、かかりつけの精神科医に相談してみた。最初に担当医から聞かれたのが、音が聞こえないのか、音は聞こえているが内容が聞き取れないのかというものだった。もし、音が聞こえているのにも関わらず内容が聞き取れなくなるというものなら聴覚情報処理障害(APD)というものがあると言われた。しかし、私は音すらも聞こえてなかったのだ。ますます謎は深まった。
時間をかけて、音が聞こえなくなる状況を振り返ることにした。そこで、わかったことは2つある。1つ目は、私は音の出ている対象のものを見ていないときはその対象物からの音に気づいていないことが多いということ。2つ目は、何か集中して作業をしているときはすべての音が聞こえていないということ。この2つのことから、“過集中”によって音が聞こえなくなるのではないかという仮説が立てられた。
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“過集中”とは、過剰に集中しすぎた状態のことを指し、集中しすぎて周りが見えなくなったり時間を忘れてしまったりする状態を指している。発達障害を持つ人によく見られる症状と言われた。私自身が、注意欠陥多動性障害(ADHD)を持っていたため、そう聞いて納得した。原因が判明したので、次に私はこう聞いた。「それで、どうしたら改善しますか?」と。
私は、ADHDの発達特性、例えば注意力が著しく低いことなどを、一時的に改善させる薬物療法を行っていた。薬の効いている時間は、飲んでいないときと比べるとかなり普通の人に近づけていた。だから、“過集中”も薬でどうにかなると期待していた。でも、先生からの答えは私の期待していたものと違った。「今あなたが飲んでいる薬は、過集中にも作用するという事例が多く報告されています。それでも、過集中で困っている場合はうまくその症状と付き合っていくしかないです」。この言葉を聞いたとき、薬物療法を始めてから、発達障害でも生きていけると少し自信を持てていた心が揺らいだ。
グラグラと心が揺れているところに先生は優しい声でこう言ってくれた。「でも、過集中は才能でもあります。それだけ集中できることは素晴らしいことです。だからこそ、自分は集中しすぎちゃう癖があるんだと自覚するところから始めましょう!」。この言葉を聞くまで、耳から音が消えることに対してマイナスなことばかり感じていた。だから、この時前向きなことを言ってもらえてうれしかったことを今でも覚えている。
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私には、集中しすぎる癖がある。そのことを伝えているパートナーは私に話しかける前に必ず、肩をポンポンとたたいたり、私の顔の前で手をたたいたり、私の世界に音を取り戻す手順を踏んでくれる。そして、目が合ってから話始める。ちょっとずつだが、身近な人にこういう風に話しかけてほしいと伝えるようにしている。前よりも、かなり人の話を聞けるようになったと、失った自信を少しづつ取り戻している。
「集中しすぎる癖がある」というと、「それは言い訳」「治す努力をしろ」と言われることも、たまにある。その、たまに出てくる一言に、この癖のことを人に言いたくないと思う時もある。でも、伝えることで私は、音のある世界に歩み寄る。だから、あなたも音のない世界に少し歩み寄ってほしい。そう思いながら今日も、音が聞こえたり聞こえなかったりする世界で私は生きる。