私には、本当にやめたい癖がある。
昔のことを思い出してニヤニヤとしてしまうことだ。それも、場所を問わず、誰かと話していても、なにか作業をしていてもニヤけてしまう。
人に話しかけるときもそうだ。話の先を想像してはニヤニヤする。もっとも、想像通りの話の運びになることは少ないのだけれど。

小学生、中学生のころからの癖だ。関係のないところでニヤける私。自分を客観視してみれば、気持ち悪いの一言に限る。どうしてこのような癖が出てきたのだろうか。それには、この癖が出てくる少し前の話が関係しているかもしれない。

◎          ◎

私は昔から、人の目を気にすることが多かった。親の反応を、同級生の反応を気にして人付き合いをしていた。極度の人見知りで、知っている人を見つけても、自分から話しかけることはなかった。自分は目立ってはいけない、と無意識に思っていたのだろう。

どんどん引っ込み思案になっていき、自分の世界に入り込むようになった。それがいちばん楽で楽しかったからだ。自分の世界が楽しくなればなるほど、現実がつまらなく思えた。自分が好きな世界で生きられたらどんなに楽しいだろう。そう思うことも多々あった。

心に密かな野望を抱いていたとき、周りとの乖離に苦しむことになる。私の感覚は同級生には受け入れられなかったらしい。普通とは違う、周りとは違う、と好奇の目を向けられ、いじめにあった。

リーダー格の同級生が周りを巻き込み、私を無視して避けた。人の反応を深く見る私は、いやでもいじめに遭っていると気づく。いじめ自体はそこまで苦しくはなかったけれど、この世界で共存していかなければいけないことに絶望した。

◎          ◎

そこで私が自分に課したのが、人前で笑ってはいけない事。
ヘラヘラしていると思われないように、周りが話している内容に参加してはいけない人間だから、と言い聞かせた。とにかくいつでも真顔でいられるように、と家にいるときも、好きなテレビを見ているときも、笑いを堪えるようになった。おもしろいのに、大きな声を出して笑っていいはずなのに、感情を抑えて潰すことを続けた。

関係のないところでニヤけてしまうのは、この反発だろう。
笑ってはいけない、けれど本当は笑いたい。おもしろい話には声を出して、近所迷惑になるくらい笑うのが私なのだから。

自分で抑えた感情と笑顔だったが、どこかで発散したかったのだと思う。素直になれる場所が欲しかった。抑えてしまった分、プラスになることをして均衡を取らなければいけない。自分の好きな世界もある。自分の好きな世界では、思う存分に笑いたかった。この思いが現れたのがニヤニヤという形だったのではないだろうか。私はそう分析している。

◎          ◎

ニヤニヤすることは悪いことではない。自分の中で楽しいと思うことを表現する大切な感情だ。しかし、関係ないところでは出したくない。そろそろ場所をわきまえたいものだ。大人になって、一人暮らしを始めたこともあって、ニヤニヤだけで均衡を保つことはなくなった。家の中では思いっきり笑っていい。スマホを見ては大声で笑う。テレビを見ては独り言を話す。何も考えずに話している。

けれどどうしても、人と話すときや外に出ているときはニヤけてしまう。何度も「今じゃない」と唱えるものの、一瞬で自分の世界に戻る。一度浮かんでしまった昔のおもしろいことは、昇華しないとずっと残るらしい。

今もなお続く、場所を問わずニヤニヤとしてしまう私の癖。悪くないことだけれど、できれば家の中だけに収めたい。外では何も考えることなく、周りに溶け込むように過ごしたいものだ。もはや培ったスキルとも言えてしまうくらいの癖なのだが、今からでも直せるだろうか。

今は、不気味に笑う自分を抑えるために笑いをこらえていることが多い。変な笑顔になっているだろう。もっと表情筋をうまく使って、気持ちと表情が同じ動きをするように笑いたい。だから本当にやめたい癖なのである。