私には間違いなく一目惚れしたと思う景色があって、今でもそれに囚われている。
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出会ったのは、大学受験で第一志望校を受け、落胆していた夜に見たTV。確かブラジルのスラム街だった。危険の只中、1つ1つの家が集まって、人々の生活が町になって動いている景色に、行ってみたい、携わりたいと思ってしまった。
やりたいことが分からないまま走り切った受験の後に抱いた、「これかも」という初めての感覚。一気に気持ちが昂ったわけでも、ドキドキが止まらなくなったわけでもなく、心がワクワクし出した、そんな感じだったと思う。
幸運にも、建物が好き、町並みが好きだからと何となく決めた大学の進路は、「これかも」景色に近からずとも遠からずで、その周辺をくすぶることが出来た。
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それでも、直接携わる機会を求めて、大学院受験をすることにした。初めての、夢に向かう受験だった。
考えてみれば、はっきりした夢が無いのに、高校卒業の時期が近づいて来たからと、無理矢理定めた目標に向かって、あれだけの勉強を課せられ、やり切る学生のパワーは凄いと思う。
皆、その頃までにそれぞれ「これかも」景色に出会っているのだろうか。そんな人どれだけいるんだろうか。社会人になる前に、その感覚を感じられたことが嬉しかったから、信じてみることにした。
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無事受験を乗り切り、一目惚れしてから4年半、「これかも」の景色に実際に辿り着いた。予想に反して、それは私が想像していたものと全然違っていた。
彼らはとても幸せそうだった。いつ政府によって立退きさせられるか分からない状況、衛生面の問題、教育の問題などはあるけれど、毎日家族と過ごし、ご近所同士で一緒に遊んだり仕事をしたり、たくましい素敵な町のように私には見えた。
そして勉強をすればするほど実感する、社会や経済の大きな流れの中で、私に出来ることはほとんどない、たぶんゼロかもしれないということだった。私が見たことはほんの一部だし、携わると言っても限られた時間で、結論を出すには早すぎて、おそらく何も分かっていない。
ただワクワクが静かになった。一目惚れを美化していたというよりも、実際は違ったというだけ。がっかりしたわけでも、嬉しかったわけでもない。とても素敵な意味のある経験をしたと感じている。
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それから大学院を出て、私は「これかも」景色とは直接関係しない仕事を選び、東京で今も働いている。
もしかしたら経験しなくても、状況は同じだったかもしれない。
しかし、あれから数年間が経つが、働く中で誰もが経験するであろう、辞めようかな?本当にやりたいことは?定期思考が周回してくるたびに、あの景色が浮かんできて、まだ少しワクワクさせられる。「これかも」という初めての感覚に特別性を感じているからか、単なる思い出か、ただの未練か。
今の仕事も好き。「これだったのか」と思う時も最近はある。そう思えること、「これだったのか」の道を極める人のこと本当に素敵だと思う。でも最近、あの景色を伴う定期思考の周回が遅くなっていっていることが少し寂しい。
一目惚れは単なる運の一つで、たくさんある出会いの中で、ちょっと特別に感じてしまっただけだと思う。でもそれに振り回されて、ワクワクしちゃったりしている。
だとしたら、一目惚れがたくさんあった方が楽しいし、もっとしたい。
そう思ってしばらく経つのに、あれを上回る出会いにまだ会えず、特別性が増していく…。 超えなくていいから、あれに並ぶ一目惚れをしたい。
そうしないと再熱してしまいそう。本当に囚われている。