思い返せば、あの時には決まっていたと思う。

大学3年の夏休み明け、ゼミが始まった。1回目のゼミは、生徒が向かい合って座るタイプの教室で行われた。心配性の私はかなり早めに教室に着いたので、席に座って同級生が揃うのを緊張気味に待っていた。だんだん席が埋まっていくのだが、私の前の席にはなかなか誰も座らない。なんとも言えない気持ちだった。ついに、最後の1人が来るまで私の前の席は空席だった

授業開始の少し前、背が高く髪色が鮮やかな(具体的な色は覚えていない)男の子が、挨拶を言いながら教室に入ってきた。私の前にしか空席はなかったので、もちろん彼は私の前に座った。

その瞬間に気が付いた。彼が着ていたコーチジャケットが、私が小学5年生の頃から憧れていた大好きなバンドのグッズだということに。私は「その服、『バンド』!」と声に出していた。

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授業が終わって、クラスのみんなとInstagramをフォローし合った。
その日の夜、彼から「『バンド』のライブ一緒に行かない?」とメッセージが来た。

私にはその時まで、そのバンドが好きな友達がいなかった。ずっとライブに行きたいと思っていたが、当時の私に一人でライブに行く勇気など無かった。だから彼と友達になれたことが嬉しかった。ライブの誘いには即乗った。

私にとってライブそのものが初めてだった。熱気と汗と人込みのイメージがあった。
ライブハウスへ向かう途中の駅で彼と待ち合わせをした。
待ち合わせをしてから、私達は、遊びに行くほどお互いにお互いを知らないことを自覚した。「あんまり知らないよね、お互い」と言い合って笑ったのを覚えている。

ライブは最高だった。憧れ続けたバンドが目の前にいた。感動したし興奮した。興奮したのはもちろん私だけではなかった。イメージ通り、ライブハウス内は熱気と汗でいっぱいだった。ライブが終わり、人の流れに乗って会場を後にする。物凄い人込みだった。私は彼の後ろを必死についていった。初めてのライブハウスで彼とはぐれるのが怖くなった。というのは半分本当で、もう半分は、彼の反応がちょっとだけ気になって、私は彼のTシャツの裾を掴んだ。人込みを抜けて、彼のTシャツを掴んだ手をどうしようか悩みだした瞬間に、彼は私の手を握った。「そうよね」と思った。

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当時、だいぶ生意気だったのは百も承知で、過去の経験から、私と二人で出かける男性は、できれば私に触れたいと思っている、と思っていた。自分から手を繋ぎにくる人もいれば、私の頭をなでる人、私に腕を組ませる人もいた。だからこの時も、彼は、本当にライブに行きたいという気持ちと、私に対して多少の下心があるのだと思った。つまり、彼と私は対等な本当の友達にはなれないのだと思って、勝手に少し悲しくなった。だから、それを確かめたくて彼のTシャツを掴んだ。そしたら彼は、やはり私の手を握った。

しかし、これまでと違うことが一つあった。
手が馴染んだのだ。
私の手が、彼の手に馴染んだ。それは安心とも言える感覚だった。少し戸惑ったが、戸惑わなかった。小さい頃母と手を繋いだように、それはまるで当たり前のように感じられた。
こんなこと、初めてだった。

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電車を乗り換える駅では、ホームへ行くために階段を下りなければならなかった。手を繋いだまま階段を下りていると、途中で、ホームに同じゼミの男の子が一人いることに気がついた。同時にその子も私達に気づき、彼は私の手を即座に離した。現実に引き戻されたようだった。
その後、私が乗らなければならない電車が先に来たので、私達は別れた。

あのライブの日から約二年後、私達は付き合うことになる。
彼に確認すると、もちろんあの時多少の下心があったから私をライブに誘ったし、手を繋いだそうだ。

ただ、私の予想が外れたことは、私達は恋人であると同時に、対等な友達にもなったということ。例えば愛とか優しさのような、目には見えない概念的なものであるが、確実に存在するものには、人によって考え方や表現の仕方やベクトルの方向が異なってくる。彼と私は、そういったものが同じなのだ。私達はお互いに、良き相談者であり理解者で、全てを受け入れ、許し合うことができる。彼こそが最高のパートナーだ。そのことに、私は彼と手を繋いだ瞬間、本能的に感じていたのかもしれない。自覚をするのに約二年もかかってしまったが、あの日、手を繋いだ時に、全て決まっていたのではないかと思う。